本文へ移動

教会の言葉

バックナンバー

1月のメッセージ
2015-02-14

羊を憐れまれる主   
              
              西宮中央教会 牧師 藤田浩喜
 「また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、

  打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」。

  (マタイによる福音書9章36節)
 今年の干支(えと)は未(ひつじ)です。キリスト教と何の関わりもありませんが、年賀状などを作る際に少し嬉しくなったのは、私だけではないでしょう。羊は聖書に登場する代表的な動物ですし、何よりもイラストやカットが可愛いのです。どの羊の絵を使おうか迷って仕方が無いほどでした。この羊ですが、聖書の中では神の民イスラエルにしばしば喩えられています。その羊を牧者である神さまが守り導いてくださるのです。新年礼拝のご挨拶の中で申し上げましたが、私たちはこのように牧者に導かれる羊の群れであることを自覚し、羊であることに徹して生きることが大切なのです。羊は目が弱く1メートル先のものもよく見えないと言います。しかも野の獣に襲われたら、ひとたまりもありません。だからこそ、羊は体を寄せ合って群れで移動します。そして道に迷うことや獣に襲われることから守ってくれる牧者の存在が不可欠なのです。主イエスは、「群衆が飼い主のない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれ」ました。私たち人間が牧者である方を見い出せなくなったときの悲惨さと孤独を、主は見抜かれます。そのような時に、人間は失われてしまうのです。しかし「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ10:11)と言われた主イエスは、私たちを憐れんでくださいます。一人一人の名を呼んで導いてくださいます。そして良い羊飼いである主イエスは、羊のために命を捨ててくださったのです。自分がいつ失われてもおかしくない弱い存在であることを自覚し、私のために命を捨てて私たちを守ってくださる羊飼いの羊に徹して生きることが、何よりも大切なのです。私たち羊は良い羊飼いに守られ導かれるこそ、たとえ弱くても遊牧の旅を続けることができます。詩人が歌っているように、「わたしには何も欠けることがない。主はわたしを草原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる」のです。(詩編23:1~3)。しかし主イエスは私たちだけでなく、「この囲いに入っていないほかの羊をも」(ヨハネ10:16)導こうとされています。主の深い憐れみは、囲いの外にも注がれています。主イエスの憐れみの注がれている場所こそが伝道のフィールドです。世の人々に、この牧者がおられることを伝えていきましょう。

(2015年1月)

日本キリスト教会
西宮中央教会

〒662-0832
兵庫県西宮市甲風園
2丁目4番15号
TEL.0798-67-4347
FAX.0798-67-4561

TOPへ戻る