教会の言葉
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信徒大会のよせて
牧師 藤田浩喜
「見よ、兄弟が共に座っている。何という恵み、なんという喜び。・・・シオンで、主は布告された。祝福と、とこしえの命を。」(詩編133編1、4節)
今週22日(火・休)~23日(水・休)日本キリスト教会信徒大会が大阪国際交流センターで開催されます。50数年ぶりの信徒大会ですが、開催にこぎつけるまでにいろんな意見があったことは事実です。日本キリスト教会の宣教が振るわず、各個教会の力も衰えている時に、どうしてこのようなお祭り騒ぎをするのか、それよりも大会の日程を一日増やして、今後の宣教についてしっかり協議した方がよいではないか、といった意見です。そのような意見はもちろん大切です。大会常置委員会でも大会を会議の場として特化する代わりに、牧師、長老による密度の濃い協議会を検討したことがありました。しかし、ごく最近に在日大韓基督教会や日本キリスト改革派教会の信徒大会に招かれた常置委員から、全国の信徒が一堂に会する信徒大会が、いかに大きな喜びと励ましを参加者一同にもたらしたかが紹介されました。同じ群れに属する者たちが、一つの場所に集められて主を賛美する。そこには他にない祝福が満ちあふれます。そのことを知らされて、50数年ぶりの信徒大会開催を決断したのでありました。冒頭の詩編は有名な詩編ですが、信仰にある兄弟(姉妹)が共にあって座っていることが、いかに大きな恵みであり、喜びであるかを語っています。もちろん信仰にある兄弟姉妹ですから、ただ座っているのではなく、共に礼拝を守ります。賛美を歌い、祈りを捧げ、み言葉に養われます。そしてそこには、まさに溢れるような祝福が注がれるのです。祝福は、祭司の頭に注がれた香しい油が祭司の服の襟へと流れ落ちるように、またヘルモン山に降った慈雨が連なる山々を潤い浸していくように、共にいる兄弟姉妹の集まりを豊かに浸していくのです。そして、その集まりには主なる神が御臨在くださり、兄弟姉妹は「祝福」と「とこしえの命」に生かされていることを、確かに覚えることができるのです。
そのような信徒大会であるなら、私たちは日頃は接することのできない全国の兄弟姉妹と共にあることを、最大限味わうべきではないでしょうか。主題講演だけでなく、夕食を共にしながらの交わりと語らい、テーマ別の分団が用意されています。休憩時間には、他中会の方とおしゃべりしてはいかがでしょう。そのような小さな一コマ一コマの中に、神さまの祝福と命を見つける信徒大会にしたいと、心から願っています。 (2015年9月)