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教会の言葉

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11月のメッセージ
2017-12-15
『三位一体なる神の愛』
「『ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」』と。そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。」     (ルカによる福音書15章18~20節)    
     牧師  藤田浩喜
 
先日の教会全体修養会で、講師の多田 滉先生が「聖霊」について深く豊かな講演をしてくださいました。その中で「放蕩息子の喩えと三位一体の神」についてお語りくださったのが、大変心に響きました。放蕩息子は、なぜ「我に返って」父のもとに戻る決心をしたのでしょう。彼は無一文になり、豚の餌で腹を満たしたいと願うほど惨めな状態でした。彼は空っぽの状態になった。だからこそ、心のベクトルが変化したのでしょう。しかし、それよりももっと重要なことがあります。喩えの父親は神さまです。父親の放蕩息子への関わり方は、まさに三位一体なる神さまの愛を映し出しています。この愛に貫かれた関わりがあったからこそ、息子は父のもとに戻ることができたのです。父親は自分のもとから出て行こうとする息子を行かせてやりました。神さまは人間を操り人形のように支配するのではなく、生き方を選び取る自由を与えてくださっているのです。しかし息子の要求に答えるために、父親は犠牲を払います。父は生きているにもかかわらず、自分を死んだ者と見なして、遺産相続の取り分を息子に分けてやるのです。神さまは人間を顧み、人間を愛し続けてくださいます。たとえ人間が背を向け神さまから離れても、人間を見捨てられません。救おうとなさいます。しかし神さま、御子イエスの十字架の死という犠牲において、人間を受け留めてくださっているのです。そして父親は息子が自分のもとを出て行ったからと言って、父であることをやめたでしょうか。そんなことはありません。「まだ遠く離れていたのに」、父親は真っ先に、戻ってきた息子を見つけた。父は片時も息子のことを忘れることはなかったのです。父親は息子がどこにいようとも、息子に何があっても、息子と共にあろうと決心したのです。神さまは人間に同じ思いを抱いてくださっています。神さまが私たちをお見捨てになることはありません。人間がどこに行っても、どのような状態になっても、聖霊なる神さまは共にいてくださるのです。神さまの愛はこうして、三位一体の神さまの愛として、よち強く深く私たちに迫ってくるのではないでしょうか。神さまの愛は人間の父親の愛を超越していますが、その目指す目標でもあるのです
(2017年11月)

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