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教会の言葉

今月のメッセージ

『生命の重みから響く声』
 牧師 三輪恵愛
 
イエスはお答えになった。『言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす』 
(ルカによる福音書19章40節)

上田市街から約十分、山間へと車で上がったところにその建物はあります。グレーの外壁に「戦没画学生慰霊美術館無言館」と記され、ドアを開けばすぐに薄暗い展示室が広がります。窪島誠一郎氏によって1997年に建てられたこの美術館が収蔵する絵画は、すべて戦地で命を落とした画家が描いたものです。一枚一枚に題名と画家の氏名が記されているところは他の美術館と変わりません。そこに数行が加えられています。「1944年ミンダナオ島にて戦死」「1946年舞鶴にて戦病死」「1944年ニューギニア、マダンにて戦死」・・・
窪島氏がNHK刊行の「祈りの画集」を通して戦没画学生の作品に出合った時、すぐにはそれらの価値を量りかねたと言います。ところが、自身も美術を志し出征経験のある野見山暁治氏にそういった絵だけを集めて展示する施設をつくる構想を打ち明けられます。戦争体験のないものには、とくに技術的にすぐれた作品でもなく古びた画学生の習作にしか見えないのではないか、と疑問を呈する窪島氏に、野見山氏は「だけど、ぼくはそんな絵がぜんぶ勢ぞろいしたらふしぎな迫力があるような気がしてならないですよ。とにかくかれらは生きたかったに違いない。生きて絵を描きたかったにちがいない。」窪島氏はそれらの絵を集める場所が「技術のウマイヘタイ(原文のママ)などとはかかわりない、その絵じたいがもっている生命の重さ。・・・何を叫び、何をもとめて死んでいったか、そのせつない声がオーケストラとなって聞こえてくる場所という意味なのだろう」と理解し、絵画を収集する活動を始めていきます(窪島誠一郎『無言館』より)
ある一人の絵が目に留まりました。故郷を描いたものです。何度も習作を重ねた風景かもしれません。木々が立ち並ぶ薄暗い色合いの奥に、一筋の光が差し込みます。召集令状を受け取った後に筆を執った作品でした。言葉にならない、してはならない、けれども生きたいとの叫びがその絵から響いてくるようでした。
「無言館」の静けさに、全存在をカンパスに込める生命の重さが、言葉を超えた声を響かせていました。そこに有限から無限へと、瞬間から永遠とつながる命の言葉が語りつがれていく端緒を見た思いでした。全存在をかけて語るとき、有声無声を問わず、その命の重みを通してこそ語るべき言葉が啓かれるのです。

今月のメッセージ

『三度(みたび)許さないとの声をあげるために』
 牧師 三輪恵愛

それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(ルカによる福音書9章23節)


6日に広島、9日に長崎、79年目の原爆の日を迎えた本年。平和祈念式典に招来する国を巡り、ロシア、ベラルーシへの招待を見送る点では同様でしたが、イスラエルに対する対応の違いが注目されています。ガザでの虐殺行為を停止しない同国への招待を見送った長崎市にはG7各国が大使を派遣することを取り止めました。原爆を投下した当事者国ならびに同盟国が、被爆地と向き合う機会を軽視した姿勢は国際社会の理解を得難いことと考えます。
広島で被爆し、戦後、牧師となった水野保羅(パウロ)氏は、自身も原爆の影響と思われる左ひざの骨腫に苦しみながら、被爆者団体の代表として核兵器の廃絶を訴えつづけました。当時17歳で消防団の団員だった水野氏は、原爆投下直後、同僚が火だるまになって死に行く様を目の当たりにします。大やけどを負って市内をさまよう学生や兵隊が川辺に群がり息絶えていき、市内中心部から郊外へ、焼けただれた大勢の人々が列をなして逃げ行く様は忘れられない光景となります。
「わたしの十字架」という手記でこう語ります。「被爆者のなかには、アメリカをうらみ、憎んでいる人が少なくない。それが言葉の端々に出てくる。家財、親兄弟、子供たち、友人たち、故郷を失い、健康も台無しにしてしまったのだから無理もない。それでも、わたしはアメリカを赦せと言いたい」と言われます。そして今後核兵器を作ることを絶対に許してはならない。赦しと許しをはっきりと区別したいと言われます。神は人の過去の罪は赦すけれども、現在再び犯そうとしている罪はお許しにならないのです。
広島と長崎がある以上、核兵器の非人道性を知りながら、使用を前提として保有することは罪です。人類全体がこの罪を絶対に許さない、との声をあげるためにも、加害者と被害者、保有国と非保有国との間に線が引かれ、世界が分断したままではなりません。日本も、かつての戦争ではアジア各国に暴力を奮い続けた加害者でした。過去と現在の罪に気付き、他者への愛のために苦しみを負う決意を得るために、赦し合い、同じ立場に立つのです。世界の平和が完成されていく希望は、ご自分の十字架を担いきってすべての罪を赦されたキリストを仰ぐ時に与えられるものなのです。

7月のメッセージ

『希望の花はひそかに咲く』 牧師 三輪恵愛

「葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことが
  おのずと分かる。」
  ルカによる福音書21章30節


これはイエスさまが季節について語られた珍しいところです。その前の節では「イチジクの木や、ほかのすべての木をみなさい」と言っておられます。草木の葉が生い茂るようすを見れば、誰でも夏が近づいたことがわかるでしょうというのです。
けれどもこの言葉は世界を脅かす戦争、暴動、大きな地震、疫病、異常気象が次々と起き、口々に「自分こそが救世主だ。わたしのいうことを聞きなさい」という人も大勢現れると予告する文脈のなかで語られたものです。
今年の夏も厳しくなりそうです。大きな要因が地球温暖化です。近年のウクライナ紛争により、アフリカ各国がロシアに代わる石油資源を輸出し、化石燃料への依存は戦争によりかえって拍車がかかっています。化石燃料に依存する資本主義経済の在り方、自国の権益のみを伸張させる自国中心主義、それらが引き起こす戦争が現代社会の在り方の背後に、複雑に絡み合っています。イエスさまの予告はこれらを言い得ておられるようです。
イエスさまはこのあと、こうも言われます。「はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない」ここで時代と訳されている言葉はギリシャ語でゲネアと言い、世代とか、同じような人々とも訳せますし、ひいては家族とも訳すことのできる言葉です。ゲネアが示す時代とは単なる一定期間のことではなく、そのときに一緒に生きる人々がいてこそ時代なのです。そしてイエスさまは続けて「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と言われます。この「わたしの言葉」が、イエスさまが命をかけて人間に伝えようとしている神の言葉です。福音とも言います。福音とは、はっきりと言えば「神さまを愛し、人をわけへだてなく愛して生きる」ことです。その愛とは、将来に世界を残すための愛です。それは生きる希望になりました。
希望を失うと、今だけの楽しみに心が奪われます。希望をもてば将来に届くまなざしで今を見ることができます。
いちじくの花は、面白いことに、その実のなかに隠されたところで咲き、開いていきます。この時代が、今だけの楽しみで終わらないように、これからもずっと続いていくように、決して滅びないキリストの言葉が今も語り継がれていきます。その愛の言葉がわたしたちの心のうちで花開き、将来の希望の実りになるのです。

6月のメッセージ

『使命がわたしたちを探している』 牧師 三輪恵愛

神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と悦びなのです。 
  ローマの信徒への手紙14章17節

この6月を過ごすと、当教会に着任して一年になります。短くも感じますし、一年以上経ったような心持ちになることもあります。多様に働きを求められるなかで、為すべきことを見定めながら、落ち着いて日々を過ごしています。
教会が新たに牧師を迎えることを「招聘(しょうへい)」と言います。招く側も招かれる側も招聘に関わる者たちは教会のためにてを尽くしますが、道を整えていくのは主の御心です。関わる者たちが祈りをもって御心に耳を傾け、決断がなされていきます。わたくしは様々なことを熟慮し、当教会からの招聘が御心によるものと信じ、受け入れました。主の御手から、この教会に仕える使命を与えられたのです。
国連の第二代事務次総ダグ・ハマーショルドは1957年から61年までの在任中、中近東やアフリカの動乱収拾のために献身的に任務にあたりました。功績の一つとしてスエズ戦争におけるイスラエルとアラブ諸国の調停が挙げられます。スウェーデンの人で、優れた信仰者でした。コンゴ共和国が激化する動乱の沈静化のために国連に助けを求め、調停に向かう途上、使用機が墜落しハマーショルドは在任のまま死去します。この時携行していた唯一の書物はトマス・ア・ケンピス『イミタチオ・クリスチ(キリストに倣いて)』でした。
この人は「使命の方が私を探しているのであって、われわれのほうが使命を探しているのではない」との言葉を遺しました。
使命に気づかないまま生きるか、あるいは使命を見出してもまた見失う人々に、世界は「それぞれに自分の使命を探して生きよ」と盛んに叫びます、そして使命と自己の栄達とを巧みにすり替えようとしてきます。
けれども神の国は「飲み食い」を目指すところには建ちません。
『主でありたもうわたしたちの神よ、清き心を与えたまえ、あなたを仰ぐことができますために、謙遜な心を与えたまえ、あなたに聞くことができますために。愛する心を与えたまえ、わたしがあなたに仕え、あなたの御許に留まりえますために。』
このハマーショルドの祈りを今、心に留めています。生きておられる主なる神は、わたしどもに御心をお語りになります。ご自分に誠実であり、すべての命を愛し、救ってゆかれるご計画を、わたしたちの使命にしてくださるのです。

5月のメッセージ

『天-神のいるところに生きる』 牧師 三輪恵愛

 ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。 使徒言行録1章11節


「主の昇天日」は復活されたイエスさまが40日間弟子たちとお過ごしになり、天に昇られたことを覚える日です。イースターからの40日目は常に木曜日ですが、その礼拝は直後の日曜日に捧げてきました。
イエスさまは天に昇っていかれました。白い衣を着た人たちが「なぜ天を見上げて立っているのか」と声をかけたとき、ガリラヤの人たちつまり弟子たちはどこを見上げていたのでしょうか。”空”を見上げていたのでしょうか。では空が天なのでしょうか。
現代人は大気の層を空と呼び、大気がなくなる高度100km以上を宇宙と呼びます。古代ヘブライ人は天が幾層にも重なっていること洗練された観測眼で見抜いていました。「天」を意味するシャンマーを単数では用いず、複数形のハッシャマーイームで「天」を示します。正しくは「天の天」です。ソロモン王は「天の天もあなたをお納めすることができません(列上8:27)」と祈りました。そして「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す(詩19:2)と歌われるとおり、空もまた神の被造物に過ぎないのです。
近年逝去した神学者にして牧師のデトレフ・ブロックが見事な祈りの言葉を遺しています。「あなたが帰りゆかれる御国は、それは遥かな高い彼方のことではありません。あなたのものである天の御国はあなたのご支配のことであり、それは近くにあるのです。主イエス・キリスト、わたしたちの肝に銘じてください、神は天にいるのではなく、神のいるところが、そこが天であることを。」
イエス・キリストが地上に降り立ち「天の国は近づいた」と福音を告げ始めたとき天は裂けて聖霊が降りました。そして十字架に挙げられたとき、神殿の天幕は裂けました。これらも共に肝に銘じようではありませんか。主なる神のご支配は地上にあり、そこが天であり、そこに神がおられるのです。そしてわたしたちは天の国に住まう者とされています。
使徒信条は「そこから来て、生きている者と死んでいる者とを審かれます」と告白します。来臨の時代はすでに始まっており、一切のものはキリストの御手にあります。この告白は神のご支配の約束が必ず天において成就するとの歓喜の宣言なのです。

4月のメッセージ

『喜びなさい』 牧師 三輪恵愛

すると、イエスが行く手に立っていて「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。(マタイによる福音書28章9節)

「おはよう」、これが十字架の上で釘打たれ、苦しみぬいて死なれた方の、よみがえって初めて口にされた言葉なのです。原典から忠実に訳す英語の聖書では「Rejoice!(喜びなさい)」です。イエスさまが二人のマリアの前に立って語られたのは、「喜びなさい」というお命じだったのです。
よみがえりとは「死を乗り越えてきた」ということです。死を乗り越えた人とはどこかが違う。どっしりと腰を落ち着けている。死との関係性で言えば「もう思い残すことの無い生き方」をしている人がいるとして、ではこの「喜びなさい」とは死を達観したような人に与えられるものなのでしょうか。それならばこの喜びはごく限られた人しか体験できないものとなるでしょう。墓を見に行った二人のマリアたちがそもそもそんな人々ではありません。
達観しているならば朝早く人目を避けて墓に来ることはしないでしょう。しかしこの人たちは人目を避けて恐れている、ということは死を恐れているということです。
そこに「喜びなさい」と主が命じておられるのです。それは「思い残すことも、思い煩うことも、未解決の問題も自分の生活に山ほど残っており、過去の生活の失敗も償いきれていない。たとえそうだったとしても、なおそれらを主に全部委ねて、主に全部赦されて、主に全部解決されていく道があると信じ「喜んで生きていきなさい」というのです。そのとき初めて「思い残すことのない生活」が始まるのです。よみがえりの朝に告げられた「喜びなさい」は空疎な挨拶ではないのです。キリストご自身がわたしたちの重荷を背負い、罪を担って十字架で死んでくださった。そしてよみがえってくださった。そこで罪も死も恐れることのない神の恵みのうちに、しっかりと守られた生活をしてくことができるのです。思い残していること、悔いていることはたくさんある。これからも増えるかもしれない。けれどもキリストの十字架と復活によって、本当に赦されたことを信じる生活は喜びなのです。この喜びは一人で喜ぶことはできないのです。行って、誰かに主のよみがえりを告げることで喜べる喜びです。そのとき本当に、人にすべてを分かち合える生活をしていくことができるのです。

3月のメッセージ

『今日もあなたと
 共に生きる』 
 牧師 三輪恵愛

 するとイエスは、
 「はっきり言っておくが、
 あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」
 と言われた。
  (ルカによる福音書23章43節)


 他教派と比べてプロテスタントの教会に十字架の装飾が少ないのは、目に見える十字架に頼るのを避けるため、と言われます。西宮中央教会の講壇の背面に掲げられた十字架は、ここぞというところにあるだけに、存在の力があります。
十字架とは何でしょうか。イエス・キリストが息絶えたところです。そこに死があります。教会が十字架を掲げ続けてきたのは、十字架を仰ぐものが自分自身の死え忘れず、繰り返し思い起こすことを大事にしてきたからです。
イエス様の十字架のとき、最も近くにいたのは二人の罪人でした。片方が「神の子ならばわたしたちを救え、そしてお前自身も救え」と罵ります。他の人たちも「神の子ならば自分自身を助てみろ」と蔑みます。このような侮辱の言葉は今も聞こえてきます。「神は神らしく崇敬されろ」「救い主は救い主らしく世を救え」「教会は教会らしく希望を語れ」信仰の対象が自分の思い通りに力を振るわないとき、期待は呪いの言葉に変わります。神に希望を置かなくなったとき、神への侮辱の言葉は人の心の中にすっと忍び込むのです。
もう片方の十字架に架けられた人は、侮辱をたしなめ、そして言います。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」この人は自分に迫る死からは逃れようがないことを弁えています。
そして目の前の人、ナザレのイエスは、本来はそこにいるべきではないことも気づいています。そこで死による滅びから免れるために主イエスに祈り願ったのです。
主は応えられました。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒のい楽園にいる」「今日」。今日とは今です。十字架の上でわたしと共に生きて、言葉を交わしたあなたはもう今、楽園にいると主は宣言されます。死が迫りくる中でイエスを主と信じ、ともに居てくださることを祈り願うとき、そこは楽園だと主ははっきり言ってくださるのです。「楽園」とは場所のことではありません。「関係」です。交わりです。イエス・キリストと応答する交わりの中で、この人は十字架の上にある楽園に招かれました。たとえ今心臓が止まり息絶えようとも、十字架を信じて仰ぐ者は誰でもキリストとの交わりにおいて生きる、という真実が告げられたのです。

2月のメッセージ

『十字架を
 心に刻みこんで』
     牧師 三輪恵愛

「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか。」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。(マタイによる福音書26章15節)


今年は2月14日が「灰の水曜日」で、次の主日より受難節の礼拝を捧げます。教会によっては前年の「棕櫚の主日」で用いた棕櫚の枝を燃やし、その灰と聖油を混ぜて額に十字架を描きます。そして主の御苦しみを心に刻む受難節を歩み始めます。
教会は、イエスさまが十字架を見据えて歩み始められた分岐点として、受難予告や、エルサレムに顔をお向けになるお姿を心に留めてきました。銀貨三十枚で十字架刑へと身柄を売り渡された瞬間に焦点を当てれば、弟子ユダの裏切りも分岐点の一つです。ユダヤ最高議会の議員たちの言い値にユダは手を打ちました。その瞬間、ユダの心の中でイエスさまの存在価値は銀貨三十枚の値打ちになったのです。銀貨三十枚。たしかに大金です。しかしこの時彼が売り渡したものは、それまでイエスさまと共に歩んできたすべての時、イエスさまが語られたすべてのみ言葉、イエスさまが注いでくださった愛のすべてでした。天の国に生きる喜びに招いてくださった方のすべてを銀貨三十枚で手放してしまったのです。ここぞという時に自分の価値観で行くべき道を定め、このお方の尊い値打ちを銀貨三十枚どころかそれにも満たないものと引き換え、手放してしまうことがあります。イエスさまを手放したほうが価値のある生き方ができると、何度も思ってしまうのです。こういった背きの悲しみこそ受難節に思いおこされていくものです。
けれどもユダの裏切りは十字架の救いの成就のためには、避けることのできないものでした。主は売り渡されることで、わたしたちの存在のすべてをご自分の命によって買い戻してくださったのです。このお方は神の命という量り知ることのできない恵みで、主を愛しぬくことのできないわたしたちの貧しさを満たしてくださるのです。
「灰の水曜日」に額に十字架を描くのは「灰のような小さな罪もかき集めて十字架のしるしとする」という意味があります。それは「あなたはこの十字架によって買い取られた」というキリストの愛のしるしです。十字架を額に描かずとも、心に留めることはできます。イエスさまとの交わりをこの世の価値で売り渡してしまう悲しみを、十字架による救いの証しに変えてくださる愛が、深く心に刻まれる受難節となりますように。

1月のメッセージ

『いつまでも忘れずにいること』
            牧師 三輪恵愛

「あなたの貧しい人々の命を永遠に忘れないで去らないでください」
   (詩編74編19節)


 「見に来い。神戸で地震だ」担任の大声にわたしたちはテレビの前に集まりました。阪神高速道路の高架が横倒しになり、火の手が迫る信じがたい光景が映っていました。1995年1月17日、泊りがけの冬季講習の最中でした。
「何か出来ることは・・・」しかし長崎市に住む高校2年生のわたしたちは押し黙るばかりでした。心中を察し、担任が諭してくれました。「いつか傷ついた人のために出来ることを考え行動に起こせるように、今すべきことをしっかりやりなさい。」
震度7を観測した阪神淡路大震災の被害は死者6,434名、全壊104,906戸に上りました。そして数字には表れない多くの心の傷を遺しました。「もし死んでもべつにくいはないから、しにたかったな。そうしたら、そのかわりにお父さんも、お母さんも助かったかもしれない・・。ごめんなさい」『黒い虹―阪神大震災遺児の一年』に綴られている言葉です。精神科医の安克昌氏は「生き残ったことについての罪悪感、自責感を抱いていることに強い印象を受ける。(中略)家族同士ですらコミュニケーションがうまくいかなくなることがある。ましてや他人との間に溝を感じやすいのは当然であろう」と述べ、被災地では善意の活動も拒絶されるケースが多々あると指摘します。
2011年3月11日、埼玉で東日本大震災を経験したわたしは釜石市、南相馬氏、小名浜市、仙台市と被災地に入り様々な支援活動に加わりました。担任が諭してくれたように、出来ることを考え行動に起こせる者となっていました。
そこでさらに大切なことを学びました。2016年夏、仲間と共に名取市の津波に水没した耕地の支援に入ったとき、迎えてくれた年配の農家の方がこう言って労ってくれました。「作業してくれることだけでないんだ。忘れないでいてくれることが嬉しい。」心の傷を癒すためには忍耐と時間が必要です。「忘れずにいること」こそが最も求められ、真実の癒しに通じる唯一の道なのです。2024年1月1日、奥能登地震が起きました。甚大な被害が刻一刻と伝えられ、支援の働きは始まっています。「何か今、出来ること」のうえに「いつまでも忘れずにいること」を加え、傷ついた人の命へ遣わしてくださる主を仰ぎ、御心を祈り求めます。
この方こそ一人一人の傷ついた命をそして癒しの業を決してお忘れにならない主であることに信頼して。

12月のメッセージ

『人となってくださった神さまを祝おう』
 牧師  三輪 恵愛

「わたしは来て、あなたのただ中に住まう」
   (ゼカリヤ書2章14節)

「本日は耶蘇(ヤソ、イエスのこと)降誕なり。教会堂にては祈祷を行い・・・家々にては種々の贈物をなし・・・クリスマス樹を設けて・・・児童等と共に相嬉戯してサンタクロースの齎らし来る幸福を亨けて遊ぶ・・・」1906年12月25日の朝日新聞の記事ですが、100年余年を経てもクリスマスには同じような風情が漂います。
「教会では本当のクリスマスをお祝している」と言われることがあります。ツリーやサンタクロース、プレゼントより大切なこと、それは神の子イエス様が人としてお生まれになったことを祝うことです。
神さまにとって、人となることは喜ばしいことなのでしょうか。永遠におられ、力があり、なんでも見通されるのが神さまです。一方では人間は、心も体も傷つき、病を得ます。第一、命を失います。神さまにとって人になることいはなんの利益もありません。それなのに、神さまは人となられるのです。
降誕の地ベツレヘムはイスラエルのヨルダン川西岸地区に含まれています。初めて訪ねたとき、そこが貧しい土地、争いの傷跡が深い場所だとすぐに解りました。神さまはこのような人と人とが相争い、傷つけあうような所の戸を叩き、訪ねるために人となられたことを刻みこんだことを思い出します。
上の記事に先立つこと10年前のクリスマスにこのような説教が語られました。
「耶蘇基督(イエス・キリスト)は自ら完全無垢の人なるのみならず、我らの如き微弱なる者をも容れて、その活力に与るべき伴侶たらしめんとす。主耶蘇基督は恵みて元気活力を備えてベツレヘムに生まれたり(植村正久『クリスマスは何を教ふるや』1896年12月)」
心も体も傷つき、病を得て、憎しみあい、失われる命を生きる人間のただ中に「活力を与えるために」。クリスマスの喜びは、神さまが人間の貧しい時、苦しむとき、悲しい時、弱さが極まる処を訪ね、そこで生きてくださるために人となられたところにあるのです。
イエス・キリストの誕生は、人を訪ねてそのただ中に生きる神の命の現れです。教会にいつもより人が訪ねて来られるクリスマス。訪ねていくことの大切さも忘れません。イエス様のお生まれを喜んだそのあとはでかけて訪ねていく番です。2023年の今年も、教会は神さまが人となり訪ねてくださる喜びを胸のとどめて、本当のクリスマスをお祝いしようとしています。

11月のメッセージ


 『主の御名による神の国」  牧師 三輪恵愛

「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って”天の国は近づいた”と宣べ伝えなさい」(マタイによる福音書10章6節)


ガザ地区の武力衝突は1か月の間に犠牲者1万人を超し、その4割強は子どもです。イスラエルは人質解放を大義とし「ハマス殉滅のためならば市民の犠牲もやむを得ない」と主張しますが、医療施設や難民キャンプを攻撃する軍事行動に世界から厳しい視線が向けられるようになりました。
当初欧米各国の反応が緩慢だった要因にパレスチナの複雑な歴史背景があります。第一次大戦中、オスマン帝国と敵対する英国はアラブ人に国家を建設するよう工作する一方、ユダヤ人からの政治資金の見返りに国家の建設を後押ししました。第二次大戦後、ホロコーストの経験が、国際連合の「同情的な」分割統治を採択させ、イスラエル建国が宣言されます。これを不服とするアラブ諸国との間に四度の中東戦争が起き、イスラエルによる占領地を自治区としたのが、ガザ地区とヨルダン川西岸地区です。2007年にハマスに実行支配されたガザ地区をイスラエルは高い壁で囲ってインフラを厳しく統制、「天井の無い監獄」と呼ばれるようになりました。
現地の惨状を伝える報道は、度々「ユダヤ教とイスラム教とキリスト教は同じ神を崇める宗教」と解説します。沈痛な重いで聞きながら、無辜(むこ)の市民の命を奪い続ける国イスラエルと、聖書で約2700回記される「イスラエル」の同一性を問わずにおれません。
多くの事を考えるなか、二つのことを記します。一つは、イスラエルが御言葉に背くことがあれば神さまは厳しく裁かれたことです。偶像や他国にひれ伏し、自らをも「神」としたとき「主はこれを聞いて憤られた。火はヤコブの中に燃え上がり怒りはイスラエルの中に燃えさかりました(詩編78:21)」それは神さまの愛を実現するために苦難から導き出しお建てになった国が真実のイスラエルだからです。もう一つ、イエスさまは真実のイスラエルが御自分の名によって到来したと宣言されました。「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って”天の国は近づいた”と宣べ伝えなさい(マタイ10:6)」と弟子たちを遣わされたのは、神の国が建てられてもなお虐げられ逃げ惑う人々がおり、そこで愛の業を行うためです。
これらのことを心に留め祈ります。「主よ、争いを止められないわたしたちを憐れみ、憎しみの炎を消す慰めの、み言葉を聞かせてください。教会が真実のイスラエルとなり、失われかけている命のために救いの手を伸ばせますように。」

10月のメッセージ

『主の御手に引かれて』-神学校編-
          牧師 三輪恵愛

「・・・子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いてきなさい」(マタイによる福音書21:2)


会社勤めが落ち着き始めた2005年、上司が37歳で突如死去しました。熱心に実務を教えてくださり、前晩まで溌剌と勤務していましたが次の日、自宅の床のなかで息を引き取っていました。深い悲嘆が、与えられた命をどこに用いるか改めて考えさせる契機を招きました。
先立つ2003年、北海道中会青年部の「神学校ツアー」に参加しました。牧会者を育成するために整えられた祈りと学びの空間に深い感銘を受けました。この体験が「命をどこに用いるべきか」との問いとともに何度も思い起こされるようになり、次第に牧師への献身を考えるようになっていきました。
2010年春、辞表を出し、小会には規定の推薦状を願い出ました。そこに献身の志も添えたのですが、牧師からこう言われました。
「牧師は人間の意思の強さでなるのではなく、ただ神の御業のみ。罪びとが、み言葉を語ることへの畏れがここからは聞こえてこない。このままでは推薦できない」。「どんな困難にも自分で打ち克つ」強固な意志を余さず伝えたと確信していただけに衝撃でした。長老方の執り成しにより推薦は得ましたが、牧師の言葉は胸に突き刺さったままでした。
受験合格を経て入学し、学業が始まりました。ところが第1学年の半ばを過ぎ、信徒の頃の人間関係に起因する困難な問題が神学校に報告され、学業を続ける是非を改めて問われることとなりました。その件は、社会通念上は既に解決しているものでした。しかし、それが牧師の危惧された「自分の力で困難を乗り越えようとする」罪が具現化したものでした。罪びとに過ぎないものが神のみ言葉を語り、教会に仕えることの真意を厳しく問われることとなりました。悩みぬいた末に第2学年から休学し、栃木県にあるキリスト教主義学校アジア学院で住み込みのボランティアとして労働することとなりました。アジア、アフリカ、中南米の農村部から集う学生や欧米のボランティアたちとの1年半にわたる共同生活の中で、共同体を支えるみ言葉の力を魂に刻むこととなりました。どれほど「自分で困難に打ち克つ」強さを持ったとしても、先立つものが自我であれば真実に人に仕えることはできず、しかし示された処で、なお人に仕えるものとされたとき、十字架の主が御業のために人を用いられる真理を示されることとなりました。
第2学年の途中から復学、2017年春に神学校を卒業、岐阜教会に遣わされることとなりました。3回に渡りお伝えした身上はこれにて一度筆をおきます。

9月のメッセージ


『主の御手にひかれて』―北海道編―
          牧師 三輪恵愛
「主は助けを求める人の叫びを聞き、苦難から常に彼らを助け出される」
 (詩編34:18)

函館生まれの母の故郷、北海道へ強い憧れを抱いていましたので、北海道教育大学函館校に進学しました。小さなアパートの一室に入居した日、引っ越しの段ボールを空けると一番上に聖書と讃美歌が置かれていました。讃美歌の裏表紙に「北海道に旅立つ恵愛君へ、最も大いなるものは愛である。第1コリント13:13 父より」と大きく筆書きされていました。この言葉に背を押されるように中学、高校と離れていた教会へ再び通い始めました。
函館相生教会の故真田卯吉牧師は、髪の毛を茶色に染めて破けジーンズで礼拝に来ても「よく来たね」と笑顔で迎えてくれました。やがて「週に1回、うちで食事をしていきなさい」と誘ってくださり、牧師館を訪ねると「まず勉強しよう」と基本的は教理を教えてくださいました。学びを終えると順子夫人が手料理を振舞ってくださいました。こうして1999年12月23日クリスマスに侵攻告白へと導かれました。
卒論では十五年戦争における関係各国の戦争責任について論じました。この分野の研究者を目指し、卒業後は札幌に転居し北海道大学日本史研究室の研究生として院試に備えることにしました。これに伴い札幌桑園教会に転入しました。
しかし父が病に倒れ進学の道は挫折します。約2年間アルバイトをしながら就職活動を重ねた末、一般企業に中途採用枠で就職しました。初任地は札幌郊外の物流拠点でした。広大な倉庫を管理する部署に配属されましたが年末年始は多忙を極めました。入社して一年が経とうとする頃、オフィスで意識をなくし救急車で搬送されました。過労による神経疾患と診断され、回復したのち本社へ異動を願い出ました。折よく欠員があった人事部に配属され、職場の環境にも恵まれ、会社での日々も充実していきました。意識喪失から回復した経験は、主の救いについて切実に捉えるきっかけとなりました。職場にも聖書を持参し、時間が空けば貪るように読みました。教会では日曜学校教師および執事に任職されました。
札幌桑園の河野行秀牧師は物静かな物腰ながら、説教への真剣さを常に身に帯びているお方でした。旧約とユダヤの事情に精通しておられ、教派にこだわらず多くの説教者を招き伝道礼拝を開いてくれました。そこでわたしは多彩な説教者の語り口を心行くまで味わいました。仲間の青年たちとも力を合わせて伝道集会を開きました。会社での充実以上に、教会での信仰生活は祝福に満たされていました。こうして少しずつ献身への志が涵養されていったように、今は思います。



8月のメッセージ

『主の御手に引かれて』 ―長崎編―
          西宮中央教会 牧師 三輪 恵愛

「キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。(テモテへの手紙二1章10節)」


着任して以来、皆さまとも言葉を交わす機会が与えられ、人となりが次第に伝わることと思いますが、これより3回、月報を通して信仰の略歴をお伝えしたいと思いました。
私は、1977年に千葉県市川市で生まれました。1歳になる前に武蔵野音楽大学で教鞭をとっていた父が長崎県立女子短期大学より招聘され転居、高校を卒業するまで長崎市で育ちました。父は日本キリスト教団に籍があり、同教派の長崎馬町教会に転入しました。同志社系で、アットホームな温かさのある教会でした。4歳から友愛社会館幼稚園に通いました。ここはメソジスト系の教会の付属幼稚園でした。聖書に地盤を置いた保育を生き生きと実践するところでした。年中の担任は園長まで勤め、退職された今も手紙のやりとりをしています。年長の担任に惚れ込み「結婚する」と言ってききませんでした。それほど幼稚園で愛されていました。神の愛が保育を通して園児全員に注がれていました。
生涯に及ぶ決定的な出来事は3歳下の妹真悠子(まゆこ)の死でした。小学校1年生の時医療ミスにより意識不明に陥りました。搬送された病院で脳死と診断され、7日後に呼吸器をはずすこととなりました。涙を流し倒れんばかりに謝罪に来た医師と看護師を、かえって慰め、赦す父の傍にわたしは立っていました。目がくりくり、おかっぱで利発な可愛い妹でした。今、娘をもつ父として、それがどれほどの行為であったかを畏れをもって振り返ります。
死の直前に父の願いで病床洗礼が施されました。その時、病室の窓から差し込む赤い夕陽が額に水を注ぐ西村義臣牧師の手を照らしていました。「父と子と聖霊の名によってわたしは三輪真悠子に洗礼を授ける」。深い悲しみが光に照らされる瞬間でした。葬儀礼拝でわたしは最前列に両親に挟まれ、ちょこんとすわり、牧師の説教を聞いていました。
「真悠子ちゃんの魂は天の御国に帰った」との一言が心に響きました。その時十字架に目をあげながら、可愛い真悠子の魂はここを昇って天に帰ったことをずっと信じていきました。翌年のクリスマスに母は成人洗礼、わたしは小児洗礼へと導かれました。
中学3年での親友の死により教会から遠ざかってしまったのは、先の説教でも述べたとおりです。しかし不滅の命を約束してくださるキリストの十字架が幼年の時に命に刻み込まれたことで、わたしはほどなく福音へと立ち返ることとなりました。次回は北海道での出来事をお伝えします。

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