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教会の言葉

今月のメッセージ


 『主の御名による神の国」  牧師 三輪恵愛

「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って”天の国は近づいた”と宣べ伝えなさい」(マタイによる福音書10章6節)


ガザ地区の武力衝突は1か月の間に犠牲者1万人を超し、その4割強は子どもです。イスラエルは人質解放を大義とし「ハマス殉滅のためならば市民の犠牲もやむを得ない」と主張しますが、医療施設や難民キャンプを攻撃する軍事行動に世界から厳しい視線が向けられるようになりました。
当初欧米各国の反応が緩慢だった要因にパレスチナの複雑な歴史背景があります。第一次大戦中、オスマン帝国と敵対する英国はアラブ人に国家を建設するよう工作する一方、ユダヤ人からの政治資金の見返りに国家の建設を後押ししました。第二次大戦後、ホロコーストの経験が、国際連合の「同情的な」分割統治を採択させ、イスラエル建国が宣言されます。これを不服とするアラブ諸国との間に四度の中東戦争が起き、イスラエルによる占領地を自治区としたのが、ガザ地区とヨルダン川西岸地区です。2007年にハマスに実行支配されたガザ地区をイスラエルは高い壁で囲ってインフラを厳しく統制、「天井の無い監獄」と呼ばれるようになりました。
現地の惨状を伝える報道は、度々「ユダヤ教とイスラム教とキリスト教は同じ神を崇める宗教」と解説します。沈痛な重いで聞きながら、無辜(むこ)の市民の命を奪い続ける国イスラエルと、聖書で約2700回記される「イスラエル」の同一性を問わずにおれません。
多くの事を考えるなか、二つのことを記します。一つは、イスラエルが御言葉に背くことがあれば神さまは厳しく裁かれたことです。偶像や他国にひれ伏し、自らをも「神」としたとき「主はこれを聞いて憤られた。火はヤコブの中に燃え上がり怒りはイスラエルの中に燃えさかりました(詩編78:21)」それは神さまの愛を実現するために苦難から導き出しお建てになった国が真実のイスラエルだからです。もう一つ、イエスさまは真実のイスラエルが御自分の名によって到来したと宣言されました。「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい。行って”天の国は近づいた”と宣べ伝えなさい(マタイ10:6)」と弟子たちを遣わされたのは、神の国が建てられてもなお虐げられ逃げ惑う人々がおり、そこで愛の業を行うためです。
これらのことを心に留め祈ります。「主よ、争いを止められないわたしたちを憐れみ、憎しみの炎を消す慰めの、み言葉を聞かせてください。教会が真実のイスラエルとなり、失われかけている命のために救いの手を伸ばせますように。」

10月のメッセージ

『主の御手に引かれて』-神学校編-
          牧師 三輪恵愛

「・・・子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いてきなさい」(マタイによる福音書21:2)


会社勤めが落ち着き始めた2005年、上司が37歳で突如死去しました。熱心に実務を教えてくださり、前晩まで溌剌と勤務していましたが次の日、自宅の床のなかで息を引き取っていました。深い悲嘆が、与えられた命をどこに用いるか改めて考えさせる契機を招きました。
先立つ2003年、北海道中会青年部の「神学校ツアー」に参加しました。牧会者を育成するために整えられた祈りと学びの空間に深い感銘を受けました。この体験が「命をどこに用いるべきか」との問いとともに何度も思い起こされるようになり、次第に牧師への献身を考えるようになっていきました。
2010年春、辞表を出し、小会には規定の推薦状を願い出ました。そこに献身の志も添えたのですが、牧師からこう言われました。
「牧師は人間の意思の強さでなるのではなく、ただ神の御業のみ。罪びとが、み言葉を語ることへの畏れがここからは聞こえてこない。このままでは推薦できない」。「どんな困難にも自分で打ち克つ」強固な意志を余さず伝えたと確信していただけに衝撃でした。長老方の執り成しにより推薦は得ましたが、牧師の言葉は胸に突き刺さったままでした。
受験合格を経て入学し、学業が始まりました。ところが第1学年の半ばを過ぎ、信徒の頃の人間関係に起因する困難な問題が神学校に報告され、学業を続ける是非を改めて問われることとなりました。その件は、社会通念上は既に解決しているものでした。しかし、それが牧師の危惧された「自分の力で困難を乗り越えようとする」罪が具現化したものでした。罪びとに過ぎないものが神のみ言葉を語り、教会に仕えることの真意を厳しく問われることとなりました。悩みぬいた末に第2学年から休学し、栃木県にあるキリスト教主義学校アジア学院で住み込みのボランティアとして労働することとなりました。アジア、アフリカ、中南米の農村部から集う学生や欧米のボランティアたちとの1年半にわたる共同生活の中で、共同体を支えるみ言葉の力を魂に刻むこととなりました。どれほど「自分で困難に打ち克つ」強さを持ったとしても、先立つものが自我であれば真実に人に仕えることはできず、しかし示された処で、なお人に仕えるものとされたとき、十字架の主が御業のために人を用いられる真理を示されることとなりました。
第2学年の途中から復学、2017年春に神学校を卒業、岐阜教会に遣わされることとなりました。3回に渡りお伝えした身上はこれにて一度筆をおきます。

9月のメッセージ


『主の御手にひかれて』―北海道編―
          牧師 三輪恵愛
「主は助けを求める人の叫びを聞き、苦難から常に彼らを助け出される」
 (詩編34:18)

函館生まれの母の故郷、北海道へ強い憧れを抱いていましたので、北海道教育大学函館校に進学しました。小さなアパートの一室に入居した日、引っ越しの段ボールを空けると一番上に聖書と讃美歌が置かれていました。讃美歌の裏表紙に「北海道に旅立つ恵愛君へ、最も大いなるものは愛である。第1コリント13:13 父より」と大きく筆書きされていました。この言葉に背を押されるように中学、高校と離れていた教会へ再び通い始めました。
函館相生教会の故真田卯吉牧師は、髪の毛を茶色に染めて破けジーンズで礼拝に来ても「よく来たね」と笑顔で迎えてくれました。やがて「週に1回、うちで食事をしていきなさい」と誘ってくださり、牧師館を訪ねると「まず勉強しよう」と基本的は教理を教えてくださいました。学びを終えると順子夫人が手料理を振舞ってくださいました。こうして1999年12月23日クリスマスに侵攻告白へと導かれました。
卒論では十五年戦争における関係各国の戦争責任について論じました。この分野の研究者を目指し、卒業後は札幌に転居し北海道大学日本史研究室の研究生として院試に備えることにしました。これに伴い札幌桑園教会に転入しました。
しかし父が病に倒れ進学の道は挫折します。約2年間アルバイトをしながら就職活動を重ねた末、一般企業に中途採用枠で就職しました。初任地は札幌郊外の物流拠点でした。広大な倉庫を管理する部署に配属されましたが年末年始は多忙を極めました。入社して一年が経とうとする頃、オフィスで意識をなくし救急車で搬送されました。過労による神経疾患と診断され、回復したのち本社へ異動を願い出ました。折よく欠員があった人事部に配属され、職場の環境にも恵まれ、会社での日々も充実していきました。意識喪失から回復した経験は、主の救いについて切実に捉えるきっかけとなりました。職場にも聖書を持参し、時間が空けば貪るように読みました。教会では日曜学校教師および執事に任職されました。
札幌桑園の河野行秀牧師は物静かな物腰ながら、説教への真剣さを常に身に帯びているお方でした。旧約とユダヤの事情に精通しておられ、教派にこだわらず多くの説教者を招き伝道礼拝を開いてくれました。そこでわたしは多彩な説教者の語り口を心行くまで味わいました。仲間の青年たちとも力を合わせて伝道集会を開きました。会社での充実以上に、教会での信仰生活は祝福に満たされていました。こうして少しずつ献身への志が涵養されていったように、今は思います。



8月のメッセージ

『主の御手に引かれて』 ―長崎編―
          西宮中央教会 牧師 三輪 恵愛

「キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。(テモテへの手紙二1章10節)」


着任して以来、皆さまとも言葉を交わす機会が与えられ、人となりが次第に伝わることと思いますが、これより3回、月報を通して信仰の略歴をお伝えしたいと思いました。
私は、1977年に千葉県市川市で生まれました。1歳になる前に武蔵野音楽大学で教鞭をとっていた父が長崎県立女子短期大学より招聘され転居、高校を卒業するまで長崎市で育ちました。父は日本キリスト教団に籍があり、同教派の長崎馬町教会に転入しました。同志社系で、アットホームな温かさのある教会でした。4歳から友愛社会館幼稚園に通いました。ここはメソジスト系の教会の付属幼稚園でした。聖書に地盤を置いた保育を生き生きと実践するところでした。年中の担任は園長まで勤め、退職された今も手紙のやりとりをしています。年長の担任に惚れ込み「結婚する」と言ってききませんでした。それほど幼稚園で愛されていました。神の愛が保育を通して園児全員に注がれていました。
生涯に及ぶ決定的な出来事は3歳下の妹真悠子(まゆこ)の死でした。小学校1年生の時医療ミスにより意識不明に陥りました。搬送された病院で脳死と診断され、7日後に呼吸器をはずすこととなりました。涙を流し倒れんばかりに謝罪に来た医師と看護師を、かえって慰め、赦す父の傍にわたしは立っていました。目がくりくり、おかっぱで利発な可愛い妹でした。今、娘をもつ父として、それがどれほどの行為であったかを畏れをもって振り返ります。
死の直前に父の願いで病床洗礼が施されました。その時、病室の窓から差し込む赤い夕陽が額に水を注ぐ西村義臣牧師の手を照らしていました。「父と子と聖霊の名によってわたしは三輪真悠子に洗礼を授ける」。深い悲しみが光に照らされる瞬間でした。葬儀礼拝でわたしは最前列に両親に挟まれ、ちょこんとすわり、牧師の説教を聞いていました。
「真悠子ちゃんの魂は天の御国に帰った」との一言が心に響きました。その時十字架に目をあげながら、可愛い真悠子の魂はここを昇って天に帰ったことをずっと信じていきました。翌年のクリスマスに母は成人洗礼、わたしは小児洗礼へと導かれました。
中学3年での親友の死により教会から遠ざかってしまったのは、先の説教でも述べたとおりです。しかし不滅の命を約束してくださるキリストの十字架が幼年の時に命に刻み込まれたことで、わたしはほどなく福音へと立ち返ることとなりました。次回は北海道での出来事をお伝えします。

7月のメッセージ

教会の言葉 『水のほとりの出会い』   長老 八尋 孝一

「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」   (ヨハネによる福音書4章14節)


九州に住んでいた頃、妻の実家がある熊本の阿蘇で、美しい森の水源に行って水を飲むのが好きでした。水は私たちをリフレッシュしてくれるばかりではなく、今も昔もいのちの源です。とりわけ聖書が書かれた時代の乾燥地帯に生きる人々にとって、水の確保は死活問題でした。水を汲むことが出来る場所、それはいのちの鍵を握る場所でもあったのです。
あるとき、旅に疲れて井戸のそばに座っておられたイエスのところに、サマリアの女性が水を汲みに現れます。正午ごろでした。多くの人が水を汲みに来る朝早くか夕方の涼しい時間を避け、この女性があえて暑い正午を選んだのは、誰とも顔を合わせたくなかったからです。この女性は、渇ききった深い苦しみを誰にも打ち明けられず、人目を避けるように生きてきました。しかし、イエスとの出会いは、まさにそこにおいておこったのです。
森有正という思想家が、このようなことを言っています。「人間というものは、どうしてもひとに知らせることのできない心の一隅をもっております。醜い考えがありますし、また秘密の考えがあります。またひそかな欲望がありますし、恥がありますし、どうも他人に知らせることのできないある心の一隅というものがある。そこでしか神にお目にかかる場所は人間にはない。・・・ひとにも言えず、親にも言えず、先生にも言えず、自分だけで悩んでいる、また恥じている。そこでしか人間は神にあうことができない。」
私たちの中にも、誰にも言えない部分、明るみに出したくない、自分でも見たくないとしか思えないところがあるのではないでしょうか。でも、神に会える場所はまさにそこだというのです。自分が得意気に胸をはれるところ、誇れるところ、神と会える場所はそこではない。膝を屈めてうずくまってしまうところ、神と会えるのはそこだというのです。
サマリアの女性が人目を避けて水汲みに来た井戸の傍らでイエスと出会ったように、私たちの中にもイエスと出会える場所があります。主イエスは、あらゆる壁を乗り越えてそこに来てくださり、私たちと出会ってくださいます。「あなたが必要です」と語りかけてくださいます。そして私たちの内に決して渇くことの無い、永遠の命に至る水がこんこんと湧き出る泉を備えてくださるのです。

6月のメッセージ

教会の言葉『過ぎ越しの食事』
マルコによる福音書14章12~21節  長老 石田志門

 今日の物語は主イエスが十字架にかけられる前に、弟子たちと最後の食事、「過越しの食事」を過ごした場面が描かれています。弟子たちが主イエスに「過ぎ越しの食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と尋ねると、イエスは都へ行くとある男に出会い、その男が入っていく家の主人がすでに食事の席を用意してあると答えられました。この家の主人はおそらく主イエスを信じる人で、自分の家の二階の広間を主イエスのために提供し献げたと考えられます。主イエスご自身がこの過越しの食事のための手はずを整えていました。つまり、この過ぎ越しの食事の主人、ホストは主イエスです。弟子たちは、主イエスによってこの食事に招かれました。17節に「夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこに行かれた」とあります。イエスによって、過ぎ越しの食事に招かれた十二人の弟子たちの中には、イエスを祭司長たちに引き渡す計画をしていたユダが含まれていました。食事の時に、主イエスは、「はっきり言っておくが、あなたがたうちの一人で、私と一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている」と言われました。ユダの裏切りの計画を主エスはご存知でした。裏切ろうとしているユダに、「お前の計画は全てお見通しだぞ」と言って思い止まらせるためでしょうか。聖書にはこの場面でのユダの姿はいっさい記されていません。主イエスのお言葉はそういう効果を発揮しませんでした。この時、むしろびっくりしたのは、ユダだけではなく、他の弟子たちでした。彼らは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めました。誰かが主イエスを裏切ろうとしている、それはもしかしたらこの私のことかもしれない、と弟子たちは思った、つまり、みんなが自分の中に、裏切りの可能性を見い出しました。主イエスのお言葉は、ユダにではなく、弟子たち全員に、自らの裏切りの思いを意識させる働きをしました。それこそが、主イエスがこのお言葉を語られた理由だったと思います。21節で、主イエスは、「人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその人は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」、と言われました。人の子とは主イエスのことです。イエスは聖書に書いてあるとおりに去って行く。それは、イエスが引き渡され十字架につけられて殺される、それらすべてのことが、聖書に書いてあり予告されている、つまり神さまのご計画によることだ、ということです。そういう意味で、ユダの裏切りも神さまの碁石とご計画の中にあります。「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」と言われた主イエスの言葉には、非常な重みがあります。主イエス・キリストを受け入れず、拒否する罪を犯すことは、その人の存在が消されてしまうほど、生易しい過ちではない、極めて大きな罪であることが示されています。このように過ぎ越しの食事に際して主イエスは弟子たちに厳しい教えをされた後、ご自分の体と血にあずかるためのパンと杯、つまり、聖餐を定めてくださいました。聖餐は、神の独り子であられる主イエスが、十字架にかかって肉を裂き、血を流して私たちの罪のための贖いを成し遂げてくださった、その救いの恵みを私たちが味わい、それによって生かされるための食事です。主イエスはその食事を備えて、ユダも含めた弟子たちを、そして私たちを招いてくださいます。生まれなかった方がよかったような、信仰を拒否してしまう大きな罪に縛られている私たちですが、主イエスが選んでくださり、罪の赦しを与え、主の祝福の下で生きる者へと新しく生まれ変わらせてくださいます。ユダが弟子のひとりとして選ばれたのは、主イエスのミスリードではありません。まさにそこに、私たちのための主イエスの大きな恵みと招きの御心があることを覚えたいと思います。

5月のメッセージ

教会の言葉  『行って、あなたも同じようにしなさい』                       ルカによる福音書10章25~37節
                    西宮中央教会 長老 奥村恵子

   

 私はこの西宮中央教会が生み出したすずらん幼稚園に勤務しています。教会と幼稚園が同じ敷地の中にあるというのは、けっして不思議なことではありません。それは幼稚園の始まりがキリスト教に深く関わっているからです。幼稚園、キンダーガルテンは、1840年ドイツのブランケンブルクで牧師の家庭に生まれ育ったフレーベルによって始められました。
西洋において幼児教育が始まった頃、戦争がありました。戦争に心を痛め、大人からの教育では遅い、幼児期から「平和を作り出す人」を育てようと考えた人たちによって幼児教育の業は始められました。 そのフレーベル主義の保育が、日本に導入され、普及して行くには、女性宣教師たちの働きがありました。
その一人であるゲルトルート・エリザベツ・キュックリヒ先生(1897~1976)のことを紹介します。先生は、ドイツのシュトッツガルトで福音教会の牧師の子として生まれ、教会教育のために生涯を捧げようと、若い頃に決意したそうです。今から100年前、1922年24歳で来日しました。社会福祉や幼児教育のために大きな働きをされた方です。先生が日本にやって来られたきっかけは、先生の婚約者の戦死という悲しい出来事でした。先生は学生時代からの婚約者がいたのですが、第1次世界大戦が勃発し、わずか三日間の結婚生活で彼は召集され、戦死してしまいます。そのことに触れ、先生は次のように記しています。「戦地に行った私の大切な友は、三日目に国のために命を捧げてしまい、母親になろうという希望は消えてしまったのです。その時、私がキリストの救いに生きているクリスチャンでなかったら、もう希望がなかったことでしょう。(中略)
あの人生のどん底から立ち上がらせてくれた力は、信仰だったのです。」
そんな中で、北米の福音教会の本部から、保育の専門家として日本に派遣したい、という手紙が届きました。第一次世界大戦ではアメリカも日本も、ドイツにとっては敵国でしたから最初は行く気にはなれなかったそうです。しかし、ある晩いつものように夜の祈りを捧げていた時、「日本に行って、幼い子どものために働くように」という神からの召命を心に感じた、といいます。その召命は打ち消しがたい神からの声でした。
キュックリヒ先生が、どうして自分の愛する人を殺した国のために人生を捧げられたか。そのヒントがこの聖書箇所にあると考えます。この箇所は、「善いサマリヤ人のたとえ」として大変よく知られています。ある男が追いはぎに遭い、倒れてしまいます。そこに祭司が、次にレビ人が通りかかりましたが、助けずに行ってしまいます。面倒なことに巻き込まれたくはないのです。最後にそこを通ったのはサマリア人でした。普段は敵対する民族です。しかし彼は、この追いはぎに遭った男を助けたのです。
彼にとっては何の利益もありません。それどころがすべて彼の持ち出しなのです。
しかし、このサマリア人は目の前に傷つくこのユダヤ人をほっておけなかったのです。
イエス様は言われました。この三人の中でだれが追いはぎに襲われた人の隣人になったか。答えは明らかです。「行ってあなたも同じようにしなさい。」とイエス様は求めておられます。キュックリヒ先生は、まさにこの「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われたイエス様の言葉を聞き、従ったのです。
私たちは聖書を読み、学びますが、聖書を学ぶのは単に学問的に研究したり知識を深めるためではありません。聖書の言葉は、私たちの座右の銘や善い言葉、感動する言葉として留まっているのではなくて、私たちはこの言葉を生きるのです。この言葉に生きるのです。「行ってあなたも同じようにしなさい」この言葉に生きるのです。
今、私たちの置かれている状況はけっして楽観できるものではないでしょう。聖書の言葉に忠実に生きようとすれば困難なことも多いと思います。しかし、主は言われました。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。」 イエス様がいつもともにいてくださいます。愛の業をなしていく力と勇気を与えてくださいます。ご自分にとってできるところから始めてみませんか。「行って同じように」しようではありませんか。(2023年4月30日礼拝説教より)

4月のメッセージ

教会の言葉 神さまのご計画』
       エフェソの信徒への手紙1:1~14     
        西宮中央教会  長老 丹治光子


エフェソの信徒への手紙は、使徒パウロがローマで記した獄中書簡と言われています。おそらく紀元60年ごろローマの獄中から送ったものでしょう。一方でパウロ自身が書いたものではないとの説もあるようです。また、この手紙は特にエフェソの教会にのみ宛てたものではなく、小アジアの教会に回覧されたいわゆる回状と言われる手紙ともいわれています。つまり、コリントの教会に宛てた手紙のように特定の教会から問題を相談されたわけではなく、極めて教理的な事柄を多くの教会に知らせたいという思いで記された物であったようです。3章1節にはパウロ自身「あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっている」と記されていますが、異邦人にキリストによる救いを伝えるための手紙であったのだと考えられます。

さて、3節から本文に入りますが、3節は神への賛美・頌栄であります。以前の訳の聖書では、ほむべきかなで始まっています。私たちも祈るとき神様を賛美しその御名をほめたたえます。パウロの祈りといってもよいでしょう。英語訳の聖書を見ますとこの3節には「bless」すなわち神をほめたたえる、祝福する、神が恵みを与えると訳する単語が3回も出てまいります。つまり直訳しますと、「ほむべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神、神はキリストにあって、天のあらゆる霊的な祝福で、わたしたちを祝福してくださいます。」ということになります。パウロのあふれんばかりの神様への賛美が感じられると思います。今日のテキストを読んでお分かりかと思いますが、「キリストにあって」「キリストにおいて」という語句が繰り返し出てまいります。
英語で「in Christ」であります。「キリストにおいて」とはどういう意味なのでしょうか。このことについてはもう少し読み進めてからもう一度考えたいと思います。
4節~6節を読んでみましょう。
4節においては、天地創造の以前から私たちは神様に選ばれているとパウロは言います。
いきなりは理解しがたい言葉ではないでしょうか。天地創造の以前とはどういうことなのでしょうか。
全知全能であられる神様は、全く自由な、まったく正しい完璧なお方であります。その神様が私たち一人一人を天地が創造される以前、すなわち神様の思いの中で、すでに神の子となるように選んでくださった。神様が私たちを愛してくださり、罪にまみれている私たちを汚れの無いものにしようと選んでくださった、と書いてあります。理屈で考えると、よくわからなくなりますが、人間の知恵を超えた神様のご計画がまさに働いているということではないでしょうか。この4節にも、「キリストにおいて」という語句が挟まれております。
5節には再び「イエス・キリストによって」で始められ、「神の子にしようと」、つまり私たちを神の子にする目的で神様がお定めになったのです。
神様の前に捧げる捧げものは、羊や、鳩であったということが聖書には書かれておりますが、その動物たちは、全く汚れの無い、傷の無い物でなくてはいけませんでした。けれども私たちはアダムから受け継いだ罪を背負っています。また、日々の生活の中で神様に背き、人を欺き、愛を忘れるという罪に罪を塗り重ねた生活を送ってしまいます。とても神様の前に出ることはできないものであります。にもかかわらず、神様はその初めにおいて私たちを選んでくださったのです。しかし、ここに「in Christ」「イエス・キリストにあって」という語句がひときわ大切な役目をしていることに気付かされるのです。すなわち、イエス・キリストへの信仰があって初めてこの選びが生きたものとなってくるのです。6節にも「愛するみ子によって」という語句があります。繰り返し繰り返し、キリストにおいて、キリストによって、という言葉が出てまいりますが、先ほど申し上げた通り、その初めにおいて神様が選んでくださった救いの道は、キリストに出会い、キリストを信じ、キリストのとりなしを受けて初めて一歩進むのです。すべての業はキリストによらなければ意味をなさないということです。

7節には、そのキリストの血によって私たちの罪が贖われたことを述べています。贖うというのは漢字では貝へんに旧字体の売るという字です。つまりお金で売買したということです。当時は奴隷制度があり、買い取られた奴隷には自由が与えられました。私たちは罪の奴隷となっています。罪の鎖で縛られた私たちは、その鎖を自らの力で解くことはできません。神様はこの鎖から解放してくださったのです。神様は罪の鎖につながれた私たちをイエス様の血をもって買い取って下さり、罪から解き放ち自由にしてくださったのです。ここにも「御子において」と記されています。イエス様の血による贖いにしか救いの道はないのであります。しかもこのことは神様の一方的な豊かな恵みによるものなのです。神様がいかに私たちを愛してくださっているかを今一度知らされるのです。
8節・9節を読みましょう。秘められた計画とはどういうことでしょうか。これこそ奥義としか言えない神様だけのご計画です。人間にはその神様のご意志を知るよしもありません。神様は全く自由な、全く完璧な、お方ですので、神様のご計画を知ることはできません。
そもそも、神のご計画とは、それは当然ですがわたしたちにはわかりません。しかし、聖書のみ言葉からその一部を聞くことができるかもしれないのです。創世記の初めの部分を思い起こしましょう。神様は天地創造の時6日かけて、光と闇、海と陸、植物と動物、そして人をお造りになりました。神様はその創造の業において、その都度「神はこれを見て、良しとされた。」と書かれています。そして、すべての創造の業を終えた時、神は「それは極めて良かった」とされたのです。この世界は神様の思い通りに始まったのです。「それは極めて良かった」のであります。しかし、神様はこれで完了とはされませんでした。そこから歴史という時間が始まり、神様が与えてくださった時間は世界の完成に向けて動き出したのです。
けれども歴史の中で人は罪に堕ち、極めて良かった世界は歪み、人々は苦しむことになります。しかし、そのことも神様の計画の中にあり、三位一体の神様の一位格であるキリストを通して人を救いの道へと招いてくださったのです。それが救い主であられるイエス・キリストの贖いであります。キリストは今やこの地上世界にはおられませんが、その再臨の時に、神様がお造りになった世界は完成されるとキリスト者は信じているのです。10節、時が満ちて、キリストが再臨なさる時すなわちこの世界が完成されるとき、すべてはキリストを頭として一つに纏められるのです。キリストの血によって救われたものは、互いに愛し合い、全き平安の中にあるのです。罪の縄目から解き放たれ、天地創造の時、神様が造られた良き世界が全き世界へと完成されるのです。何と壮大な神様のご計画でしょうか。
今もこの世界は苦しみに悶えています。不条理があり、憎しみ、エゴ、悲しみに満ちています。しかし、永遠の完成の時を希望として生きるとき、神様はこの地上で流した涙を必ずそれに見合った喜びに変えてくださるのではないでしょうか。詩編126:5-6には「涙と共に種まく人は 喜びの歌と共に刈り入れる」というみ言葉があります。完成の時を待ち望みたいと思います。
私たちが救われたのはキリストによるものであります。キリストの愛によるものであります。その基には神様の大きな計画があることを知りました。神様のご計画の中で選ばれたものはその選びに入ったことで「よかったよかった」ということなのでしょうか。この世界の完成の時に全き平安の中で天国で気楽に過ごせると思うのでしょうか。残念なことに私たちは救われた喜びを忘れ、自分の力で生きていると思いあがることが本当に多い日々の生活であります。私たちはそれほどに弱い者であります。
確かに約束された御国の相続者となりましたが、それは何より神様の栄光をたたえるためであります。そのことがキリスト者の生きる目的なのです。
全知全能の神様が、この取るに足りない米粒よりも小さい一人の人間をイエス様の血をもってあがなってくださいました。神様がお造りになった一人一人をどんなに愛してくださってるかを考えた時、その救いに入れられたものは、神様に心から感謝し、その栄光を賛美し、その大いなる力をほめたたえることが出来るのではないでしょうか。
このテキストを注意して読むと、12節までは「わたしたち」となっていますが13節に「あなたがた」と出てまいります。「わたしたち」とはイスラエルの民であり、「あなたがた」は異邦人への語りかけであります。
この手紙にあて先は小アジアのエフェソすなわち異邦人の世界であります。しかし、パウロもそうであったように、神様の救いの計画はイスラエルの民だけにとどまらず、異邦社会に広く開かれていることをパウロはその生涯を通して身をもって示しました。すでに小アジアにはキリストを信じキリスト者となり、教会が出来ておりましたが、パウロはそれらの教会に向けて多くの書簡を送りました。初めに申し上げましたが、この手紙はエフェソの教会だけに宛てたものではないかもしれません。そして、この手紙を読む多くの人はイスラエルの民ではないことは想像できるのです。多くの宗教がひしめき合う異邦社会で、世界を造られた唯一の神様の真理を知り、守り伝えることは、キリストにおいて、キリストの恵みと導きに支えられてしかできない業ではないでしょうか。
この手紙が紀元60年ごろものであろうと言われていると最初に申し上げましたが、そのころには既に異邦社会にキリスト者が生れ、教会が形成されております。改めて、イエス様が十字架につけられてわずか30年余りの間に、瞬く間にその真理が語られ、理解されたことを考えますと、神様のご計画の不思議を思わずにはおれません。ペンテコステにおいてイエス様の約束通り聖霊が降されました。そこから2000年、今や世界の隅々まで神様のみ言葉とキリストの救いの業は広がっています。神様のみ言葉を人に解るように伝え、キリストの血による罪の贖いの業を人々に伝え、理解させることは間違いなく聖霊の働きによるのです。聖霊とは三位一体なる神様の一位格であります。神様が造られ、イエス様が救いの業を成し遂げられ、聖霊が今もこの世に働いてくださってることを私たちは信じています。その聖霊が、証印を押してくださっている。すなわち御国へのパスポートの身分証明がなされているということです。この聖霊の働きがあって、私たちは日々の信仰が整えられ、御国への招きを確信することができるのです。
この喜びを私たちは感謝をもって表し、神の栄光を大きな声でたたえたいと思います。

3月のメッセージ

― 3月のメッセージ ー
『神の思いに生きる教会』 牧師 藤田浩喜
「イエスは皆に言われた『わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである』」。
(ルカによる福音書9章23~24節)
レント(受難節)の時を過ごしています。その中で冒頭の有名な聖句を、あらためて味わってみたいと思います。私たちは神の思いを表す神の言葉よりも、自分の人間的な思いに導かれがちです。しかし主イエスに従うには、まずこのような自分の思いを捨てなければなりません。そして、主は私たちに自分を捨てるだけでなく、日々自分の十字架を背負って従うように命じられます。自分の十字架を背負う私たちを待っているのは、主イエスと共に十字架上で死ぬことです。砕かれることです。そうして初めて、パウロが言うように「わたしは、キリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです(ガラテヤ2:19~20)という境地に達するのです。
主イエスのために自分の人間的は思いを捨てるなら、私たちの最終的な願いである救いが与えられます。人間の体と魂を究極的に支配されているのは神であり、その神の思いを捨てては、自分の体と魂の救いを実現することはできないからです。そしてこの神の思いは、最終的にすべての人が主イエスと同様に苦しみと死を経て、復活することにあるのです。パウロは「わたしの子どもたち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」(ガラテヤ(4:19)と、伝道者の真情を吐露しています。わたしは28年西宮中央教会で伝道牧会の働きに仕えさせていただきましたが、他のすべての牧師たちと同じように、ここにわたしの伝道牧会の目標があり、切なる祈りがあったことを思います。人間的な知恵や見通しは、地上を歩む教会にとって不可欠なものです。それらは軽んじられてはなりません。しかし教会にとって大切なのは、その群れの中に活けるキリストが形づくられているかどうかということです。そして信仰の群の中にキリストが形づくられているならば、人間の思いに傾く必要はありません。神の思いが教会を導き、神の究極的な救いへと至らせてくださるのです。神の思いに生きる教会でありたいと思います。

2月のメッセージ

―2月のメッセージ―
『生まれ故郷を離れて』
 牧師 藤田浩喜
 「主はアブラハムに言われた。『あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい』」
(創世記12章1節)
1月の「教会の言葉」で三輪惠愛先生招聘の経緯を書きましたが、今回はわたしが東京中会の南柏教会に招聘されることになった経緯を少しお話したいと思います。
わたしが西宮中央教会の辞任を決意したのは2021年の春ごろでした。それは先月述べたように「時を悟った」ゆえの決断でした。その年の春に幼稚園の園長を引き受けましたが、2年間だけ責任を果たして教会と幼稚園の奉仕を終えようと決めました。しかし、次の任地にあてがあるわけでもなく、どこからのお招きもありませんでした。
2022年1月初め、南柏教会の小会指導をされている山川聡先生(習志野教会牧師)から突然お電話があり、同教会への転任について打診がありました。近畿中会の知り合いの牧師から「藤田が西宮中央を動くらしいので、声をかけてみたらどうか」と、助言を受けたとのことでした。山川先生と懇意の教職が三輪先生の招聘を知って、助言されたのかもしれません。南柏教会はかつて加西伝道所におられた天満由加里先生が牧師をされていましたが、天満先生が病気で急逝され無牧師となっていました。
赴任後2年余りで大切な牧者を失った教会なので、真剣に召命を問わなくてはと、ご返事を二か月待っていただくことになりました。しかし東京中会に赴任することは考えたこともなかったので、容易に結論は出ませんでした。
ところが、2022年1月23日(土)わたしが急性心筋梗塞でカテーテル手術を受け、2週間の入院を余儀なくされます。幸い大事には至りませんでしたが、症状は中程度ということで、心臓は約8割の機能しか果たせなくなりました。大きな健康状態の変化ですので、正確な情報をお招きいただいている南柏教会小会にも伝えなくてはなりません。前牧師を病気で失われた教会ですので、躊躇されるかもしれないと思いました。しかし、南柏教会小会からは「病気のことも含めて、先生をお支えしていきたい」とのあたたかい言葉をいただき、「もうこの招聘にお応えするしかない」と心を決めたのです。どこにあるのか、どんな教会かもほとんど知りませんでしたが、ここに主の召しがあると信じて、故郷のような西宮中央教会を離れて、南柏教会に行く決断をしました。その後、次男が東京へ転勤になり、長女の就職も東京に決まり、不思議な神さまの導きに驚いています。

1月のメッセージ

―1月のメッセージ―
『三輪惠愛先生招聘の経緯』
 牧師 藤田 浩喜
「更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。」
(ローマの信徒への手紙13章11節)

標題の聖句でパウロは、信仰によって時を悟ることを勧めています。個人的なことではありますが、わたしが当教会を辞任することを決断したのも、時を悟ったというのが一番大きな理由であったと思います。
阪神淡路大震災が起こった年の3月末に赴任してきました。丸28年になろうとしています。教会員の皆さんの赦しと忍耐のおかげで、恩師石田洵先生と同じ在籍年数になろうとしています。しかし長いということは、すでに出来上がった状態から容易に脱却できないということでもあります。この状態では平穏ではあっても、新しい展開は生まれません。それは教会にとっても牧師にとっても望ましいことではありません。教会は3年近く続いたコロナ禍の収束とともに、再び力強く歩み出して行かねばなりません。そのためにも、より若く活力に溢れた牧師を、後任としてお迎えしたいと考えたのでした。
そして、中会議長、大会書記、多くの教職と接触する出版局委員長としての経験から、最も願わしい牧師として白羽の矢を立てたのが三輪惠愛先生でした。三輪先生は2017年に当教会に夏期伝道実習に来られました。明るく快活な方で、稀に見る説教の賜物をもった方です。北海道教育大学で学ばれ、一般企業の人事部で働かれた社会経験もあり、幼稚園や日曜学校の業にも理解と意欲を持っておられます。声楽家のご子息で、讃美の賜物もおありです。これらの賜物は、阪神間の都市部にある私たちの教会において、豊かに用いられるに違いありません。また、夏期伝道に来られたおかげで、長老の方々をはじめ多くの教会員の皆さんが、そのお人柄にも触れています。そのようなことを総合的に判断して、2021年の夏に、私が岐阜教会に赴いて先生に赴任を打診し、その年の10月に受諾のご返事をいただいたのでした。
しかし、三輪先生への招聘要請は、小会の意向に基づいたものではなく、すべてわたしの独断で行ったものでした。「何とか後任を」という焦りが、このような非常識な行動となってしまい、小会の権能を深く傷つけてしまいました。このことをこの場を借りて教会員の皆さまにも告白し、小会の皆さまに心からお詫びを申し上げる次第です。

12月のメッセージ

―12月のメッセージ―
『天には栄光、地には平和』 牧師 藤田 浩喜

「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して 
 言った『いと高きところには栄光、神にあれ、
 地には平和、御心に適う人にあれ』。」
 (ルカによる福音書2章13~14節)
クリスマスは世に平和が満ちるよう願わないではおれない時です。しかし今の世界は、それとは正反対の状況を呈しています。平和と協調ではなくて、対立と分断へと世界が動いていくことが案じられるのです。
野の羊飼いたちに主の天使が近づいたとき、主の栄光が周りを照らしました。畏れる羊飼いたちに、天使はダビデの町のい救い主が誕生したことを知らせます。すると、突然この天使に天の大軍が加わり、賛美の声が響き渡ったのでした。天使と天の大軍は「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と高らかに賛美したのです。
天には神さまの栄光があります。しかし2千年前も今と同じように、地には平和がありませんでした。神さまがおられなければ、地に平和はおとずれないのです。しかし神さまは、地に平和がもたらされるように御子イエス・キリストをこの世界に遣わしてくださいました。御子イエス・キリストは人として受肉し、十字架で死を遂げられることによって、天と地をつなぐ架け橋になってくださったのです。この平和の主が来られたことによって、この世界には平和の礎がすでに据えられたのです。羊飼いたちは、当時の社会では軽んじられていましたが、だれよりも先に御子の誕生を知らされました。彼らは御子の誕生が神の栄光が世に現わされた天的な出来事であることを体験し、そのことを人々に知らせました。天使の話してくれた救い主の誕生の知らせはもちろん、彼らは主の栄光が周りを照らした体験も人々に語ったに違いありません。だからこそ「聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った」(18節)のです。羊飼いたちは、御子イエス・キリストの誕生が「天には栄光、地には平和」を実現する神さまの大いなる救いの出来事であることを、最初に証しした人たちでした。彼らは会う人会う人に、その喜びの使信を語って止まなかったのです。
私たちは信仰者ではありますが、世界の行方には悲観的です。対立と分断の大きな力の前に、自分たちは無力だと諦めてはいないでしょうか。しかし、地に平和をもたらされるのは神さまの御心です。平和の主がそれを成就してくださいます。その使信を一心に語り続ける者でありたいと思います。

11月のメッセージ

―11月のメッセージ―
『幼稚園と歩んできた教会』 牧師  藤田 浩喜
「イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。・・・『子供たちをわたしのところに来させなさい。
妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである』」。  (マルコによる福音書10章13~14節)
わたしが「教会の言葉」を書く機会も残り5回となりましたので、皆さんにお伝えしたいことを3回ぐらいで記したいと思います。第1回は西宮中央教会と幼稚園の分かち難い歩みについてです。西宮中央教会は鳴尾から甲風園に伝道の場を移した1925年以来、幼稚園と一緒に歩んできました。初代牧師である服部 孝先生は、幼稚園に子どもたちを招き、キリスト教保育を行う。そして子どもたちを通して、福音の影響を親たちに及ぼしていくというヴィジョンを描かれたのです。ですから甲風園に移る際にも、教会と幼稚園の両方を行うための土地を、大きな借金をして取得されたのでした。その時の奇跡的ともいえるドラマは『西宮中央教会60年史』に記されています。そして、小さな群れであった教会は、幼稚園事業からも収入を得ることによって、牧師の生活を支え、借金を返済していったのでした。また戦後の1959年園児の増加と共に園庭が狭くなり困っていたところ、隣地の111坪が当時の400万円で売りに出されます。とても手を出せる額ではありません。銀行も宗教団体には安易にお金を貸してくれません。そこで幼稚園児の保護者たちが個人の定期預金をその銀行に集中して信用を高める努力をしてくださいました。そして教会と幼稚園から献金を募り、またバザーの開催などもして、わずか5年間で借金を返済したのでした。現在は幼稚園は学校法人となり、宗教法人である教会とは別になりました。学校法人になったのは、財政的に存続の危機にあったからです。しかし、すずらん幼稚園が創立以来抱いてきた、「幼子をキリストのもとに、親御さんたちに福音の影響を」というヴィジョンは、今も変わることはありません。ここしばらくは牧師の努力不足もあり、卒園生やその保護者から受洗者は出ていません。しかし、来年卒園生でずっと日曜学校に通っていた方が、幼稚園教諭として採用されるという嬉しいことがありました。宗教全般に対して警戒の目が向けられる今日、幼稚園という宣教の前線を持っていることは、大変貴重です。幼稚園を通して今も宣教の可能性が開かれていることを感謝し、励んでいきたいと思います。

10月のメッセージ

―10月のメッセージ―
『主は慈しんで言われた』 牧師  藤田 浩喜
「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた『あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。』」(マルコ福音書10章21節)
「ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた」(17節)とあります。この人はたくさんの財産を持つ金持ちでした。彼がいかに切実な思いで主イエスのもとに走り寄って来たかが分かります。彼は「永遠の命」を信じていました。人が地上の生を終えて後に受け継ぐことのできる命であり、神さまの御許に生きることのできる命です。しかし、「永遠の命」を信じつつも、彼は自分がそれを受け継ぐことができるという確信を持つことができないでいました。救いの確信と言ってもよいでしょう。そのため彼は、このお方なら救いの確信を得る手立てをお与えくださるだろうと期待して、主の御前にひざまずいたのです。けれども、主のお答えは彼を満足させるものではありませんでした。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪いとるな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ」(19節)。彼は主が言われたモーセの十戒を、子どもの頃から完璧に守ってきたと考えていました。こうした思いはキリスト者である私たちにもあるでしょう。救いに必要なものは、主イエスの十字架と復活を信じること、業ではなくひたすら信仰のみであること、聖霊の働きを祈ることだと私たちは知っています。しかし、知っているだけでは救いの確信には至らないのです。主イエスは彼の答えを聞いて、「彼を見つめ、慈しんで言われ」(21節)ました。主は、この人の一途で誠実な人柄をご存知だったのでしょう。救いの確信を、ぜひ得てほしいと願われたことでしょう。だからこぞ、自分の全財産を売り払い、貧しい人に施すように彼に言われたのです。彼にとって自分の拠り所は財産でした。彼は無意識だったかもしれませんが、自分の財産に依り頼んでいたのです。その拠り所に何かを付け加えることで、救いの確信に到達しようとしていたのです。しかし救いの確信は、神さまに真に依り頼んでいない自分の罪が砕かれることなしに得ることはできません。自分が地上で拠り所にしているものを手放すことなしに、神さまを拠り所とすることはできません。拠り所こそ違え、それは私たちも同様です。手の中を空にすることなしに命を受けることはできません。

9月のメッセージ

―9月のメッセージー
 『幼な子をキリストのもとへ』 牧師 藤田 浩喜

「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」。
 (マルコによる福音書10章14節) 
1925年の創立以来、すずらん幼稚園は西宮中央教会と歩みを共にしてきました。日曜日の日曜学校から金曜日まで、幼稚園の営みは休むことなく続けられています。昨今は仕事をもつお母さんも増えてきました。フルタイムで働くお母さんは、保育所や子ども園に子どもを通わせます。一方、パートタイムで仕事をされるお母さんは、すずらん幼稚園にも一定数おられます。そうしたお母さんのニーズに応えるために、朝8時からの「朝あずかり」と午後2時以降5時30分までの「あずかり保育」をしています。また、春、夏、冬の長期休みの時にも、お母さんの就労を支えるために「あずかり保育」をしており、それらは主に非常勤の先生方によって担われています。さて、教会の福音宣教の観点から考える時、幼稚園はどのような働きを担っているのでしょうか。初代牧師である服部先生は、「まず幼な子に伝道をし、子どもを通して福音の影響を親御さんに及ぼす」ことを志されました。実際、保護者の中から教会に繋がるようになった方々がおられます。また、創立当初より、幼稚園を卒園した子どもたちは日曜学校小学科へと繋がっていきました。特に小学校の低学年では、多くの卒園生が日曜学校に集ってくれたのです。
しかし、オウム真理教事件以降の宗教への警戒心と親御さんの意識の変化によって、それは自明のことではなくなりました。
そして2年半に及ぶコロナ禍は、卒園生の足をさらに日曜学校から遠のかせてしまいました。幼稚園の宣教論的な位置付けを再構築することが求められているのです。
「幼な子をキリストのもとへ」それは神の愛そのものであるキリストへと子どもたちを導くことです。昨今、心身両面において支援を必要とする子どもたちが、入園を希望する例が多くなってきました。面接による選考によって他の幼稚園から断られがちな子どもたちが、当園のようなキリスト教園に期待をかけられるのです。先生方は、自らの力量やクラスの状況を見極めながら、可能な限り支援を必要とする子どもたちを迎え入れるようにしています。そしてその子たちの育ちのために、毎日頭が下がるような奮闘をされているのです。「いと小さき者への愛に生きる」この主イエスの愛に根差した実践を、教会に集う私たちも支え、応援していきたいと思います。

8月のメッセージ

―8月のメッセージ―
『平和を実現する人々』 牧師 藤田 浩喜

「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」
(マタイによる福音書5章9節)

今年も広島の平和祈念式典で子ども代表のバルバラ・アレックスさんと山崎鈴(やまさきりん)さんが、「平和への誓い」を力強く語ってくれました。その中で心に深く響く言葉がありました。今まさに起こっているロシアによるウクライナ侵略のことを踏まえてでしょう。次のように語ってくれました。「自分が優位に立ち、自分の考えを押し通すこと、それは、強さとは言えません。本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること、思いやりの心をもち、相手を理解しようすることです。本当の強さをもてば、戦争は起こらないはずです。」「本当の強さとは、思いやりの心をもち、相手を理解しようとすること。」これは単に戦争を引き起こさないだけではなく、平和を実現するために不可欠な人間のあり方だと教えられたのです。
冒頭の聖句は主イエスが語られた山上の説教の有名な一節です。ここで「平和」とありますが、ここの平和は戦争がない状態だけを指してはいません。バークレーという注解者は「人間の最高の幸福をつくり出すすべてのもの」と言っています。貧困や争い、差別がなく、人々が安心な満ち足りた生活を享受できる状態が平和なのです。「神の子と呼ばれる」の「神の」とは、同じバークレーによれば、「子」の性質を表しています。「平和な子」を「平和の子」、「慰めを与える子」を「慰めの子」と呼びます。そのように「神の子」とは、「神のような働きをする子」という意味だというのです。そのように考えますと、「平和を実現する人々」とはどういう人なのかが鮮明になってこないでしょうか。神様は、神様に罪を犯し背を向けた人々と和解するために、行動されました。御子イエス・キリストは神様の御旨を実現するために十字架にご自身を捧げられました。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において故意という隔ての壁を取り壊し・・律法を廃棄しました」(ガラテヤ2:14~15)。神と人とを和解させる。そのために行動することが、神様の働きであったのです。であるなら「平和を実現する」ことは神様の働きに倣うことです。小さな人間関係から国と国との関係に至るまで、和解のために骨身を惜しまないことが、求められているのです。

7月のメッセージ

― 7月のメッセージ ―
『岩という土台の意味』 牧師 藤田 浩喜

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである」。(マタイによる福音書7章24~25節)

「家と土台」のたとえは山上の説教の結びをなしており、賢い人と愚かな人が対比されています。これまで山上の説教で語られてきた教えを「聞いて行う者」が、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえられます。他方、「聞くだけで行わない者」は、砂の上に家を建てた愚かな人にたとえられるのです。両者の違いは、家をどんな土地の上に建てるのか、岩の上か砂の上かということです。家には土台が必要ですから、土台が岩か砂かで工期も労力も費用もだいぶ違ってくるでしょう。場合によっては、余った費用を使って上物の家をより豪華にできるかもしれません。しかし、家の真価は大雨、洪水、台風のような自然災害の時にこそ問われます。いくら豪華で立派な上物であっても、砂を土台とした家はひとたまりもありません。建物が傾いたかと思うと、瞬く間に流されてしまいます。跡形もなくなります。しかし、岩を土台とした家は、少々の損害があっても、もちこたえます。雨にも洪水にも台風にも耐えて、そこにしっかり留まり続けるのです。日本のような災害の多い国にあっては、災害の時にこそ真価を発揮する家が必要なのではないでしょうか。この主イエスのたとえで、家は私たちの人生を示しています。そして岩という土台は何かというと、それは「御言葉を聞いて行う」というあり方なのです。賢い者も愚かな者も「御言葉に聞く」のですから、いずれも教会にいる人たちです。しかし、教会にいる者たちの間でも、「聞くだけの人」と「聞いて行う人」に分かれるのです。特にここで語られている山上の説教は、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(5章44節)など、実行するのが困難な教えが含まれています。そのため、キリスト者であっても、ここの御言葉を聞くだけで行おうとしないのです。もちろん主イエスは、そのことをご存知です。心弱く力のない私たちは、この教えを実践しようとしても、実践できない。しかし、私たちが本当の意味でそのことを思い知らされるのは、真剣に行おうとした時だけなのです。そしてその時に、私たちは弱く力のない自分ではなく、主なる神さまを人生の土台として依り頼む者となるのです。

6月のメッセージ

―6月のメッセージ―

『しるしを遥かに越える神の愛』 牧師 藤田浩喜
「イエスは、心の中で深く嘆いて言われた。『どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない』」。(マルコによる福音書8章12節)
主イエスは8章11節以下で、ファリサイ派の人々のしるしを求めるかたくなさを、深く嘆かれました。ファリサイ派の人たち、今の時代の者たちは、自分のイメージに適った、自分を納得させるようなしるしを、神さまに求めます。しかしいくら願っても決してしるしは与えられない。そのような間違った仕方で求められても、しるしが与えられることはないのです。しかし、本当にしるしは与えられないのでしょうか。主は「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」と、マタイによる福音書16章4節で言われています。ヨナのしるしとは、ヨナが大魚に呑み込まれながらも生還したことから、イエス・キリストの十字架と復活を指し示しています。つまり、神さまは今の時代の者たちが、神さまから遣わされた救い主を信じることができるように、御子イエス・キリストを遣わし、愛する御子を死に引き渡した後、復活させられたのです。単なるしるしではなく、愛する御子ご自身を、神さまはこの世に与えてくださったのです。この箇所のすぐ前には、「四千人に食べ物を与える」給食の記事が記されていました。この出来事はイエス・キリストが人間の罪のため肉を裂き、血を流された主の晩餐の出来事(=聖餐式)を示しています。主イエスは、人々が自分本位で願うしるしをお与えにはなりませんでした。しかし、主イエスはそのようなしるしを遥かに越えたもの、すなわちご自分自身をその愛のゆえに与えてくださったのです。人間を滅びから救おうとされた神さまは、その愛のゆえに御子をこの世に与えてくださったのです。しるしどころではなく、御子を十字架に引き渡すほどの愛が、すでにこの世には与えられているのです。そのようなわけですから、今の時代の者たちにとって必要なのは、自己本位なしるしを求めることではありません。自分の願うしるしを求めて、神さまを試みることではありません。そうではなく、ただ感謝して受け取ることです。主の十字架と復活の恵みに、主の晩餐を通して与えることです。主の与えたもう恵みを、ただ感謝して謙遜に受け取ることによって、人は信仰の確信と魂の平安を得ることができるのです。

5月のメッセージ

―5月のメッセージ―
『資格なき者の救い』  牧師 藤田 浩喜
 「ところが、女は答えて言った。『主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。』そこで、イエスは言われた。『それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。』」。(マルコによる福音書7章28~29節)
主イエスが異邦人の地、ティルスに行かれた時のことです。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女性が、主イエスのもとにやって来ました。そして主の足もとにひれ伏し、娘から悪霊を追い出してくださいと懇願しました。母親は何としても、幼い娘を苦しみから助け出したかったのです。しかし、主イエスの言葉は意外なものでした。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」(27節)。子供たちとはユダヤ人のこと、小犬とは異邦人のことです。パンは救いのことであり、この場合は悪霊を追い出す御業のことです。主イエスは神の救いの御業には順序があるのであり、まず契約の民であるユダヤ人に救いがもたらされ、その後に異邦人への救いが与えられると言われたのです。実際、主の復活後、初代教会の使徒たちによって異邦人への伝道が開かれていきました。しかし、幼い娘の母親は引き下がりません。腹を立ててその場から立ち去ることもしません。異邦人である自分と娘に、救いに与る資格がないことをまず認めます。しかしその上で、「食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます」と言います。ここには、主イエスに対する比類なき信仰が表明されています。母親は、主イエスというお方が、たとえ資格のない者にも、その深い憐れみのゆえに、救いというパンを与えてくださることを信じて疑いません。また、主イエスの与えてくださる救いはパン屑のようにわずかであっても、娘を悪霊から救うのに十分すぎるほど大きいということを確信しているのです。マタイによる福音書ではこの言葉を聞いて、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」(15章28節)と母親の信仰を賞賛しておられるのです。この母親の信仰は、子供と言われているユダヤ人だけでなく、神の子としていただいたキリスト者にも衝撃的です。救われる資格があるということに安住していてはなりません。本来滅びるしかない私たちを救われた神さまの憐れみの深さ、救いの大きさこそが、私たちの祈り願う拠り所なのです。

4月のメッセージ

― 4月のメッセージ ―
『主は弟子の足を洗われた』 牧師 藤田浩喜
「ペトロが、『わたしの足など、決して洗わないでください』と言うと、イエスは、『もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる』と答えられた」。(ヨハネによる福音書13章8節)
主イエスが弟子ひとり一人の足を洗われた出来事は、大変印象的です。ヨハネによる福音書には共感福音書のように「主の晩餐」の記事がなく、十字架の肉と血による罪の贖いということが、この洗足によって表されているという理解があります。主の十字架の死によって、弟子たち(=人間)の罪が贖われた(=洗われた)からです。そのように考えると、表題の聖書の言わんとするところも理解できるのではないでしょうか。ひとり一人弟子の足を洗われた主イエスは、ペトロのところに来てひざを屈めます。当時の社会では、客人の足を洗うのは奴隷の仕事でした。「主イエスは進んで弟子たちの足を洗われましたが、自分はそんなことをしていただくわけにはいきません。弟子がお互いに仕え合いなさいという意味で主が模範を示されたのなら、もう十分です。よくわかりました。だからもう、わたしの足など洗わないでください。」ペトロはそのような思いで、主の行為を思い止まらせようとしたのです。しかし主イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられました。つまり主イエスは、互いに仕え合うための模範を見せられただけでなく、ひとり一人の罪を贖って(=洗って)くださったのです。神に背き、神と人間を隔て、人間の永遠の滅びをもたらす罪は、ひとり一人が主に贖っていただかなくてはなりません。自分だけその必要がないという人は、だれ一人いないのです。この対話に続いて、ペトロは「主よ、足だけでなく、手も頭も」と願います。素朴で直情的なペトロらしい反応です。それに対して主は、おそらく微笑みながら言われました。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。」「体を洗った」とは水による洗礼を、「足を洗う」ということは霊による洗礼を表しています。私たちに引き寄せて言えば、洗礼を授けられた私たちは、主の晩餐(=聖餐式)に与ればそれでよいのです。洗礼は一度ですが、聖餐は繰り返しです。そこで聖霊を通して、私たちは主の十字架の贖いに与ります。その贖罪の出来事を、感謝をもって受け取っていくことこそ、私たちの洗足なのです。

3月のメッセージ

―3月のメッセージ―
『主の愛の御心による救い』 牧師 藤田浩喜
「イエスはその場所の来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』ザアカイは急いで降りてきて、喜んでイエスを迎えた。」(ルカによる福音書19章5節)
大変よく知られた「徴税人の頭ザアカイの悔い改め」のエピソードです。彼は主イエスとの出会いによって、これまでの自分の生き方を悔い改めます。「…ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』」この決意表明は、この場面のハイライトであり、最も感動的な場面です。でも、どうしてザアカイはこの「唐突」とも言える決意表明ができたのでしょうか。一つは、徴税人の頭として財を蓄えながら、満たされぬ心を抱えていたということがあるでしょう。金持ちの彼の機嫌を取り、おべっかを使う者はたくさんいたでしょう。しかし、ローマの手先となり不正な利益を得ていた彼に、心を許す者はいませんでした。主イエスを見たいと思っても、背の低い彼に便宜を図ってくれる者はいませんでした。彼は多くの群衆に囲まれていましたが、ぞっとするような孤独の中に置かれていたのです。彼は幸福ではなかったのです。しかし、それ以上に彼を決意表明に導いたのは、ザアカイに出会おうとする主イエスの強い御心でした。主イエスはザアカイに出会うために、エリコの町にやって来たように思われます。主イエスは失われたザアカイを、捜し求めてエリコにやって来られた。その証拠に、いちじく桑の上で身を隠すようにしていたザアカイを、主の方からお見つけになり声をかけられます。そして最初から予定されていたかのように、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と告げるのです。(口語訳では「きょう、あなたの家に泊まることにしているから」と明瞭です)。そしてザアカイの立派な決意表明を聞いた主イエスは、「今日、救いがこの家を訪れた。…人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」と言われているのです。ザアカイは、迷い失われた自分のような罪人を、如何にかして救おうとしてくださる主イエスの強い御心に触れて、心から悔い改めることができたのです。私たちの伝道とは何か。それはイエス・キリストに表された人を救わんとする愛の御心に、隣人を出会わせることなのです。

2月のメッセージ

―2月のメッセージ―
『私たちの願いを越えた救い』 牧師 藤田 浩喜
イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。(マルコによる福音書10章51~52節)
盲人バルティマイが必死に主イエスを呼び止め、主が彼の目を見えるようになさったという出来事です。あきらめず主に求め続けることの大切さを教えている箇所ですが、私は長い間、主イエスが「何をしてほしいのか」とバルティマイにお尋ねになったことが、よく理解できませんでした。尋ねなくても、「目が見えるようになることに決まっているではないですか」と、主に反論しそうになるのです。しかし、ハタと考えます。私たち人間は、一体何を主イエスにしてほしいのでしょうか?1月下旬から2月初めにかけて、比較的大きな病気で入院し手術をしました。もう少し発見が遅ければ、取り返しのつかない状況になっていたかもしれません。10日間の入院の中で思ったのは、死というものがごく身近にあるということと、命を救われたことへの感謝と喜びです。そして、今主イエスに願いたいことは、病気が再発することなく生きながらえさせてください、これからもあなたの僕として仕えさせてくださいということです。このい願いは切実です。そして主イエスは「『何をしてほしいのか』」率直に言いなさい。包み隠さず述べなさい」と促しておられるのです。「やせがまんをして黙ったり、本当の思いを隠す必要などない。あなたの心の叫びをありったけぶつけなさい」と促しておられるのです。主イエスは聞いてくださるのです。盲人バルティマイは、願いを聞き入れてもらい、目が見えるようになりました。私たちが願うことも主によってかなえていただけるなら、どんなに幸いなことでしょう。しかし、主イエスがバルティマイにしてくださったことは、彼の願いを大きく越えたものでした。これは「あなたの信仰があなたを救った」と言われているように、救いを与えられました。救いはもはや、生と死を越えてバルティマイを支えます。そして救いに入れられた信仰者として、彼は新しい道「イエスに従う」道を希望をもって歩いていくのです。地上の死を人は避けることはできません。しかし主は、死を越えた救いを、信仰によって私たちに見させてくださるのです。

1月のメッセージ

―1月のメッセージ―
『母親を見て、憐れに思い』  牧師 藤田 浩喜
「主はこの母親を見て、憐れに思い、『もう泣かなくともよい』と言われた。・・・イエスは、『若者よ、あなたに言う。起きなさい』と言われた。すると死人は起き上がってものを言い始めた。(ルカによる福音書7章13~14節)
主イエスがナインの町のやもめの母親の一人息子を起き上がらせた出来事です。いつ読んでも、母親の悲しみが伝わってくるようで、何とも言えない気持ちになります。大切な子どもたちを天に送ったすべての親たちに、やもめの母親と同じ奇跡が起こったら、どんなによいだろうと思います。そんな思いで読むせいか、息子は母親に返されたにもかかわらず、ハッピーエンドの出来事のようには感じられないのです。この出来事で印象的なのは、主イエスがやもめの母親の思いを、真正面から受け止めてくださったということです。「主はこの母親を見て憐れに思い」とありますが、「憐れに思い(スプランクニゾマイ)」は「内臓」という言葉からきています。日本語でいうなら、主イエスは母親の境遇と悲しみを思うと、断腸の思いにならざるを得なかったのです。また主は「近づいて棺に手を触れられ」ました。当時、死人に触れることは、汚れを帯びることであり、律法で禁じられていました。しかし主イエスは、敢えて棺に手を触れタブーを犯し、一人息子を墓場へと連れていく死の葬列を止められたのです。主イエスは真の人として、一人息子を送らねばならない母親の悲しみに、はらわたがちぎられるような思いになられました。そして他方で、墓場へと死の世界へとむかわなくてはならない一人息子の棺に寄り添い、死すべき人間の定めにご自分を重ね合わせてくださったのです。つまり、私たち人間が最も深く悲しみ悩まざるを得ない、死をめぐる二つの現実をご自分のこととして受け止めてくださったのです。とかくこの箇所を読むとき見過ごしてしまいますが、この一人息子を起き上がらせた主イエスを見て、人々は恐れ、神を賛美して言います。「大預言者が我々の間に現れた」、「神はその民を心にかけてくださった。」この大預言者は旧約において子どもを蘇生させたエリヤやエリシャのことを表しています。しかし神は大預言者以上の方を私たちのもとに遣わしてくださいました。この救い主イエス・キリストは、真の人として死の苦しみと悲しみを味わい尽くされるだけでなく、真の神として死そのものに打ち克たれました。そして真実者すべてを復活の命へと起き上がらせてくださいます。

12月のメッセージ

―12月のメッセージ―
『羊飼いに起こったこと』 牧師 藤田 浩喜
「その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。・・・羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(ルカによる福音書2章17節、20節)
羊飼いたちが幼子イエスを礼拝しに行く有名な場面です。羊飼いたちに何が起こったのでしょう。野宿して夜通し羊の番をしていた羊飼いたちに、まばゆい光が降り注ぎ、彼らは非常に恐れます。するとそこに天使が現れ、このように告げるのです。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」まばゆい光は神の啓示の光です。そして羊飼いたちは、彼らの救い主が誕生されたという大きな喜び(=福音)を告げ知らされるのです。羊飼いたちの仕事はユダヤの人々の生活になくてはならないものでしたが、彼らは社会の周辺に追いやられていました。彼らは裁判の証人になれないほど社会的信用がありませんでした。また曜日に関係のない彼らに仕事は、彼らを安息日の礼拝から遠ざけました。彼らは人々が救い主を待ち望んでいることを知っていましたが、律法を守れない自分たちには無縁だと考えていました。社会も彼ら自身も、自分たちを蚊帳の外に置いていました。彼らのように多くの人々が、主イエスの誕生を自分と無関係だと見なしています。しかしそうではなく、救い主の誕生は、「民全体に与えられる大きな喜び」であり、幼子イエスは誰にとっても「あなたがたのため」と言える救い主なのです。羊飼いは自分たちの救いを見出すことができたのです。それだけではありません。天使の言葉を聞いてベツレヘムに急いだ彼らは、天使の言葉どおり、布にくるまって飼い葉桶の中に寝かされている幼子を見つけます。彼らは啓示によって自分たち知らされた福音が本当のことだと確信します。そして彼らはそのことを、大喜びで周囲の人々に知らせたのです。裁判の証人にすらなれなかった彼らが、神の大いなる御業である救い主の誕生を証言する務めを果たしているのです。そして救い主とまみえた彼らは、神をあがめ、賛美しながら、生活の場に帰って行ったのです。考えてみますと、この出来事は羊飼いだけに起こった出来事ではありません。啓示の光によってキリスト者となった、私たち全ての出来事でもあるのです。

11月のメッセージ

―11月のメッセージ―
 『感情ではなく神に自分を任せる』 牧師 藤田 浩喜
「サウルは声をあげて泣き、ダビデに言った『お前はわたしより正しい。お前はわたしに善意をもって対し、わたしはお前に悪意をもって対した』」。(サムエル記上24章17~18節)
エン・ゲティの要害での出来事です。ダビデがいるとの情報を得たサウル王は、3千人の兵を連れてダビデを探します。その途中、ある洞窟にサウル王が用を足しに入ったとき、洞窟の奥にはダビデとその家来たちがいたのです。王は一人で無防備です。家来は「主があなたに、『わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよい』と約束されたのはこの時です」(24:5)と進言します。自分を殺そうとしているサウル王を討つ絶好のチャンスだったのです。ダビデもサウルの上着の端をひそかに切り取ります。迷いがあったのでしょう。しかし「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない」(24:6)と言い、サウルを襲うことを許さなかったのでした。「これは絶好のチャンスだ。サウルを討つ絶好の機会を神が与えてくださった。これが神の御心だ」と判断しても、おかしくはありません。心の葛藤もあったでしょう。しかし、王の処遇は神がお決めになることであり、神の主権を侵してはならないと、ダビデはすべてを神に委ねたのでした。私たちは状況を自分の都合の良いように受け取り、すぐに感情に任せて行動してしまいがちです。しかし、そこに本当に神の御心があるかを思い巡らし、神の主権にお委ねしなくてはなりません。特に否定的な感情、敵対的は感情を持っている相手に対しては、神のお計らいに任せることが大切なのです。しかし、黙ってじっと我慢しなさいというのではありません。ダビデもサウル王に対し、自分が王に悪事も反逆も働く意思はないことを示し、そのような自分を殺そうと追い回す王に毅然と抗議の声を上げています。自分の思うところを冷静に率直は言葉で相手に伝えています。この言葉を聞いて、サウル王は自分の非に気づかされ、ダビデの行為の正しさを認めることができたのです。難しい人間関係においても、それは当てはまります。けんか腰で感情をぶつけ合うだけでは、感情の応酬に終始してしまいます。しかし、理の通った静かな言葉で、自分の思いや考えを伝えることで、初めて相手も私たちの本当の思いが分かり、自らの間違いや至らなさに気づかされるのです。ダビデの態度に学びたいと思います。

10月のメッセージ

― 10月のメッセージ ―
『御心が成ることを願う』 牧師 藤田 浩喜
「今は彼らの声に従いなさい。ただし、彼らにはっきり警告し、彼らの上に君臨する王の権能を教えておきなさい。」
(サムエル記上8章9節)

イスラエルは最後の士師と言われたサムエルが指導してきました。しかし、彼も高齢になり、二人の息子たちも「賄賂を取って裁きを曲げ」(8:9)るような人たちでした。また、敵ともなり得る近隣諸国は「王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み」(8:20)戦っていました。そこで12部族の長老たちは、「王を立ててください」とサムエルに求めたのです。イスラエルは本来、神が王となって治めたもう国です。神はサムエルを通して、王をもつことがイスラエルの民にどんなに大きな負担をもたらすかを示します。軍隊への徴兵やさまざまな仕事への徴用、家臣を養うための畑の没収、いくつもの重い税負担など。「こうして、あなたたちは王の奴隷となる」(8:17)と警告します。しかし、目に見えない神に依り頼むことに不安を感じる長老たちは、とにかく周辺諸国並みになりたいとサムエルに願い、神もその要求を容認するのです。主なる神はどうしてイスラエルの要求を容認なさったのでしょうか。神は大変教育的なお方です。ご自分の御心を頭ごなしに命令し、強いられる方ではありません。皆さんもご承知の通り、人はいくら諭されても、自分で経験しなければ分からない存在です。ここでのイスラエルも、王を立てることによって、どんなに大きな苦しみが、のしかかるか理解できません。王が支配することの良い側面だけに目を向けて、その悪い面は小さくしか見積もっていません。そのことをご存知の神は、神ではなく人が王となることの現実を体験によって分からせようと、イスラエルの願いを容認なさったのです。御心だったわけではないのです。このことは私たちの教会にとっても、キリスト者ひとり一人にとっても重要なメッセージです。私たちは神に様々な願いを申し上げます。願いが叶えられるのはうれしいことです。しかし、願いが叶ったからといって、それが神の御心であるとは限りません。神は私たちが信仰者としてもっと成長するために、失敗することを承知の上で、願いを容認されることもあるのです。もちろんそれは単なる失敗ではなく、神の教育的な訓練の機会でもあるのです。いずれにせよ、私たち信仰者は自分の願いいが叶うことを第一とするのではなく、御心が成ることを第一に祈り求めたいと思います。

9月のメッセージ

― 9月のメッセージ ―
『働きの場での宣教』  牧師 藤田 浩喜
 「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。」
 (マルコによる福音書1章16~17節)
弟子の召命はまず、主イエスの働きかけから始まっています。16節で「イエスは・・・シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった」とあります。また19節では、「・・・ゼペダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが船の中で網の手入れをしているのを御覧になると」あります。弟子への召命は、イエス・キリストが御覧になり、声をかけられるところから始まるのです。ユダヤ教のラビの弟子になりたい者は、弟子志願者の方から先生のところへ出かけて行きました。弟子の入門を先生が許します。しかし、イエス・キリストの弟子となることは、主イエスご自身が目を留め、招かれるところから始まるのです。しかも彼らが召命を受けたのは、シモンとアンデレが「湖で網を打っている」時であり、ヤコブとヨハネが「船の中で網の手入れをしている」時でした。漁師としての日々の仕事をしている最中にこの召命は起こったのです。
そういえばアルファイの子レビが召命を受けたのも、彼の仕事場である収税所においてでした。このことは、弟子への召命という出来事が私たちの日常の営みの中に起こることを示しています。宗教的な修行をしたり、修練を積まないと弟子になれないというのではないのです。しかし、それと同時に主の弟子になるということは、それぞれの仕事や務めと切り離されるものではないことを示してはいないでしょうか。確かに漁師をしていたこの4人もレビも、その職を捨てて主イエスの御後に従いました。これは今日で言えば、今までの職業を辞めて伝道者になることと同じでしょう。しかし、御国の福音は専任の伝道者だけで進められるものではありません。信仰者となった者たちが、この世では様々な職業や務めを持ちながら、その働きの場で御国の福音を告げ知らせる弟子としての使命を担っています。むしろ、そうした働きや務めの場にいなければ、伝えられない福音宣教の働きがあります、弟子として召された者たちは、この世に遣わされていくのです。4人の漁師たちや徴税任のレビがその職場で召されたという出来事には、そのようなメッセージもまた込められているのではないかと思うのです。

8月のメッセージ

― 8月のメッセージ ―
『心の準備を整える』  牧師 藤田 浩喜
 「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋を
   まっすぐにせよ』」。(マルコによる福音書1章3節)
 福音をもたらすためにイエス・キリストがおいでになったことは、決して約2千年前に起こった偶然の出来事ではなく、それ以前から長い間イスラエルの人々が神の約束として待ち望んできたことであり、歴史を支配される神の深いご計画によって、あらかじめ定められていたことなのです。旧約聖書は、そのことを私たちに教えています。だから、旧約聖書を抜きにして私たちは新約聖書を正しく理解できませんし、イスラエルの歴史を抜きにして、イエス・キリストについて語ることはできません。それゆえ福音書は、イエス・キリストのことを述べるのに先立って、イザヤ書に預言されている「荒野に主の道を備える声」(イザヤ書40:3)としてあらわれた、バプテスマのヨハネについて述べているのです。何をするにも準備が必要です。王が地方に旅するとき、その土地の住民は道を整備して迎える用意をしたと言われますが、イエス・キリストが神の国の王として私たちの世界においでになるにあたっても、神はヨハネを遣わして、あらかじめ周到な準備をおさせになったのです。ヨハネは主イエスの親戚にあたる祭司の家に生まれ、長い間エルサレムと死海の間に広がる荒野で、らくだの毛衣をまとい、革の帯を締め、いなごと野蜜を食べて厳しい禁欲的な生活を送っていました。しかし、主イエスが活動をお始めになる時が近づいたことを知った彼は、人々に主イエスをお迎えする心の用意をさせるために、厳しい言葉で罪の悔い改めを促し、ヨルダン川のほとりでバプテスマ(洗礼)をさずけました。ヨハネはイエス・キリストをお迎えするために、ユダヤ人をふくめて、すべての人が罪を悔い改めて、洗礼を受けなければならないと教えたのです。自分は悔い改める必要のない正しい人間であり、自分の正しさによって生きていけるというような、思い上がった心をもっている人は、イエス・キリストを受け入れようとしません。ヨハネは神に赦されなければ生きることのできない私たちの罪に汚れた心を、鋭く指摘することによって、私たちの心をまっすぐにして、主イエスを心の中に喜んでお迎えする用意をさせたのです。私たちも聖書をただ知識として学ぶだけでは不十分です。イエス・キリストを一人一人の生活の中にお迎えすることができるように、心の準備を整えたいと思います。

7月のメッセージ

―7月のメッセージ―
『初めから持っていた掟によって』  牧師 藤田 浩喜
 「さて、婦人よ、あなたにお願したいことがあります。わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。」
(ヨハネの手紙二5~6節)
この手紙は、ある「婦人」に宛てられていますが、これは手紙を受け取った教会が擬人化されているようです。子供たちはその教会に属するキリスト者たちのことでしょう。「長老」(1節)と名乗る筆者は、手紙を送った教会のキリスト者たちが神から受けた掟、すなわち愛の掟を守って、真理の道を歩んでいることを聞いて、喜んでいるのです。しかし、そのような教会にも大きな問題があったようです。それは次の7~9節に出てきます。そこを見ますと、教会の問題が「人を惑わす者」(7節)であったことが分かります。そして彼らの問題はどこにあったか。それは、「イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとしない」ことでした。つまり、イエス・キリストが真の人となられたという「受肉」を否定していたのです。そのようなイエス・キリストの「受肉」を否定するようなキリスト者が、大勢世に出ていたのです。そしてその者たちは、自分たちのことを、進歩的は考えを持つ信仰者だと考えて、自分たちの考えを他のキリスト者にも広めていたのです。そうした深刻な問題に対してどう対応したらいいか、教会の人たちも悩み、苦しんでいたに違いありません。それに対して筆者は、何か特別なことをするのではなく、初めからあなたがたが聞いていた掟、つまり互いに愛し合うという愛の掟に従って歩みなさいと、勧めるのです。私たちの教会も地上の教会ですから、いろんな問題が起こることがあります。事柄を明確にし、何が問題であるのかを明らかにすることは大切でしょう。しかし、非難し合ったり、相手の間違いを糾弾するといった仕方では、本当の解決は得られません。教会が分裂してしまうこともあります。私たちは、教会生活の基本である愛の掟を聞かされています。それは新しい掟ではなく、日頃から聞かされてきた掟です。しかし、教会に何か問題が起こったときに、このいつも聞かされてきた掟を実践することが大切なのです。愛によって歩むということなしに、本当の解決は得られないのです。

6月のメッセージ

―6月のメッセージ―
『信仰における雄々しさ』   牧師 藤田 浩喜
 「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセに命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する」(ヨシュア記1章7節)

荒れ野の40年が終わり、イスラエルの民はいよいよ約束の地カナンに入っていくことになりました。長年イスラエルを導いたモーセは世を去り、ヌンの子ヨシュアが新しいリーダーとして民を導きます。若い時からモーセの側にいていろいろ見聞きしていたにせよ、これからは自分がリーダーとして立っていかなくてはなりません。相当な重圧がかかっていたのではないでしょうか。自分にこのような重い任が務まるだろうかという懼(おそ)れもあったのではないでしょうか。そのようなヨシュアに主なる神は、「強く、雄々しくあれ」と3度にわたって励ましの声をかけておられるのです。(6、7、9節)。「つよく、雄々しくあれ」。これを聞きますと、これからカナンに侵攻するにあたって、「勇ましく戦いなさい」と励ましておられるように聞こえますが、軍事的な勇猛果敢さだけが求められているのではありません。むしろここでは信仰上の勇敢さが、より明確に求められていることがわかります。6節では「あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である」と、神の与えた約束への信頼を求めています。7節では「わたしの僕モーセに命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない」と、神の教えである律法を拠り所とするよう求められています。そして9節では「うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる」と主の御臨在の確かさに依り頼むように求められています。神の民イスラエルのリーダーに求められるのは、軍事的な勇敢さや司令官としての能力ではなく、主なる神を畏れ、神の約束を信じ、神が共にいますことを拠り所として民を導いていくことなのです。神の民イスラエルは、出エジプトの後、主なる神に何度も背きました。奴隷の縄目から解放してくださった恵みを忘れ、不平不満をぶつけました。その結果、自分たちの罪の報いとして、荒れ野の40年の旅を続けなくてはなりませんでした。しかし、主なる神はどんなことがあろうとも、民と共におられ、御自分の与えた約束を果たされます。この神の御臨在の確かさに依り頼むことが、信仰における雄々しさなのです。

5月のメッセージ

―5月のメッセージ―
『暗いところに輝くともし火』  牧師 藤田 浩喜
「この者たちは、干上がった泉、嵐に吹き払われる霧であって、彼らには深い闇が用意されているのです。彼らは、無意味な大言壮語をします。また、迷いの生活からやっと抜け出して来た人たちを、肉の欲やみだらな楽しみで誘惑するのです。(ペトロの手紙二2章17~18節)

この手紙が送られた教会には、偽教師が大きな影響を及ぼしていました。彼らはイエス・キリストの再臨を否定し、それに備えて倫理的に生きようとするキリスト者の生き方を否定していました。彼らはキリスト教が広く地中海世界に拡大する中で、最新のギリシャ思想に出会った人々でした。その思想にかぶれた彼らは、新しいキリスト教をこしらえようとしました。それによって当時のキリスト者を、再臨と最後の審判の恐怖から解放し、堅苦しい倫理的な生活から自由にできると、尊大にも考えていたのです。こうしたことは、21世紀の現代にも起こり得ます。科学的・実証主義的な時代に生きる現代人には、イエス・キリストの再臨もそれに備えての倫理的な生き方も、空想的なことのように感じられます。そのため、そのような初代教会以来伝えられてきた教理を倉にしまい込んで、目に触れないようにします。取り上げようとしません。そして現代の人たちに耳触りの良いメッセージを、はやりの思想とブレンドして提供しようとするのです。しかしペトロは、「この者たちは、干上がった泉、嵐に吹き払われる霧」であると言います。また、「迷いの生活からやっと抜け出して来たひとたちを、肉の欲やみだらな楽しみで誘惑する」と言われます。人生の悩み苦しみから福音を信じて救われたキリスト者を、空しい滅びの生活に舞い戻らせてしまうと言うのです。キリストの再臨と最後の審判とそれに備えて過ごす倫理的な生き方は、イエス・キリストが教え、初代教会の使徒たちが代々伝えてきたものです。使徒たちが失敗や挫折を経験しながらも、キリスト者の人生に不可欠な信仰内容として、手渡してきたものです。それを捨てることは、私たちを解放し自由にするどころか、以前の比ではない深い恐れと苦悩に陥れることになるのです。ペトロは「夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇るまで、暗いところに輝くともし火として、どうかこの預言の言葉に留意してください」(1:19)と訴えています。この助言にこそ聞きましょう。

4月のメッセージ

― 4月のメッセージ ―
『心は燃えていたではないか』  牧師  藤田 浩喜
「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」
 (ルカによる福音書24章30~31節)
 ことわざに「百聞は一見に如かず」というのがあります。見ることは、それだけ確かだというのです。しかし、現代のように映像加工技術の発達した時代では、嘘の映像も簡単に作ることができます。目で見ても何が真実かわからない時代に、なってしまったのかもしれません。表題の聖句は、エマオに急ぐクレオパともう一人の弟子が、復活の主イエスと出会ったことを伝える箇所です。その箇所では興味深いことに、「見る」ということが不確かなこととして描かれています。クレオパともう一人の弟子は、復活の主が近づいて来て、一緒に歩き始めたのに、そのお方が主イエスだとは気づきません。「二人の目は遮られていて」と記されています。主イエスを死んだ過去の人だと思い込んでいた彼らは、共に歩みを進めている方が主イエスだとは思いもよらなかったのです。また、無理に引き留めて、その旅の人と同じ宿に泊まった時のことです。その人がパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いた時、二人の目は開けて、その人が主イエスであるとわかりました。しかし次の瞬間、「その姿は見えなくなった」(31節)のです。パン裂きの所作は過越の食事でも、5千人の給食でも見ていたので、その所作で主イエスだと気づいたのかもしれません。しかし、姿が見えることがそんなに大事なことではないかのように、復活の主の姿はすぐに見えなくなってしまうのです。しかしそれに対して、この箇所では耳で聞くことが大きな役割を果たしています。弟子たちと一緒に歩かれた旅の人はエルサレムで起こったことを理解できない二人の弟子たちのために、旧約聖書から語ります。メシアは苦しみを受けた後に、栄光に入ることになっていたことを、聖書全体から証しします。その時の経験を二人は次のように述懐するのです。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、私たちはいつの時代でも、主イエスを証しする御言葉を聞くことができます。そしてこの御言葉によって、復活の主にお会いすることができるのです。感謝!

3月のメッセージ

― 3月のメッセージ ―
『福音の力を信じる』 牧師  藤田 浩喜
「監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。私の心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。」(フィレモンへの手紙10~11節)
フィレモンへの手紙は、エフェソの獄中にあったパウロが、コロサイの家の教会のリーダーであったフィレモンに書き送った手紙です。この手紙はパウロのもとにいたオネシモという信仰者を、フィレモンが主にある兄弟として受け入れてくれるように願って書かれたものです。オネシモはかつて、フィレモンが所有する奴隷の一人であったようです。古代の奴隷は近代の奴隷とは少し異なり、国や都市国家が戦い負けて、勝利者側の所有となった人たちでした。裕福なフィレモンの家には、そのような奴隷が何人もいたのでしょう。ところがオネシモは何かの事情があって、フィレモンのもとから逃亡しました。そして、パウロのいるエフェソにたどり着き、パウロと知己を得ることになります。パウロはオネシモに伝道したのでしょう。その甲斐あってオネシモは信仰者となり、軟禁状態にあったパウロの身の回りの世話をするようになったのです。パウロはオネシモから身の上話を聞き、彼がフィレモンのもとから逃亡してきたことを知ります。パウロはオネシモを自分のもとに留めることもできました。しかし過ちを犯したオネシモを一度はフィレモンのもとに帰さなくてはならないと思い、この手紙を書いたのでした。パウロはオネシモを送り帰すにあたって、「彼は、以前はあなたにとって役立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています」と記しています。「オネシモ」という名は「役立つ者」という意味です。彼はフィレモンの家にいる時は、名前とは真逆で、「役立たない」と見なされていたようです。心もすさんでいたのでしょう。しかしパウロのもとに来て福音と出会い、彼は今や名前通りの「役立つ者」となりました。彼は元の主人であるフィレモンの所へ勇気をもって帰ろうとしています。ここに私たちは、キリストの福音がどれほど人の生き方を変えるのかを、目の当たりにするのです。パウロ自身が福音に劇的に変えられた人でしたから、福音の力を信じていました。私たちもこの福音の力を信じて、伝道に励んでいきましょう。

2月のメッセージ

― 2月のメッセージ ―
『水をめぐる対話から』 牧師 藤田 浩喜
「女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。『さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。』人々は町を出て、イエスのもとへやって来た。」(ヨハネによる福音書4章28~30節)
主イエスと弟子たちがユダヤからガリラヤに移動される途中に、サマリアはありました。ユダヤの人々は、歴史的に確執のあるサマリア人の地を通らず、遠回りしてガリラヤに向かいます。ところが主イエスは、大切な目的があるかのように、サマリアの町に入って行かれました。そして旅に疲れて井戸の側に座っておられました。そこに一人のサマリア人の女性が井戸の水を汲みに来たのです。主イエスはこの女性に「水を飲ませてください」と頼んだのでした。女性はいがみ合っているユダヤ人から頼み事をされて驚きます。そして水をめぐるやり取りから、主イエスと女性との対話が始まっていくのです。主は「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(14節)と語られます。水を乞われた主イエスが、実は渇くことのない永遠の命に至る水を与えるお方であることが示されます。そして二人の対話は少しずつ深まり、魂の奥深くに触れる宗教的な対話へと深化していくのです。そのポイントとなるのは、彼女の抱えていた深刻な問題でした。彼女はなぜ朝の涼しい時ではなく、日射しの強い昼下がりに水を汲みに来たのか。それは五人の夫と結婚し、今は夫ではない男性と住んでいる自分に向けられる視線を避けるためでした。そんな自分のあり様に負い目を感じていたので、人のいない時を狙って水汲みに来ていたのです。そのことを言い当てた主イエスに、女性は畏敬の念をいだきます。そして日頃は決してしないような宗教的な疑問を、主イエスに問いかけます。それは「神を礼拝するふさわしい場所はどこか」「救い主はいつ来られるのか」という問いかけです。その対話の深まりの中で女性は今、目の前にいる方が救い主であることを見出すのです。救い主と出会うのです。主イエスは、救いを必要としている人を狙い撃ちをされるような仕方で、救いに招かれます。水がめを忘れるほどに喜びと驚きに満たされたこの女性は、町の人々はに主イエスを堂々と証ししたのでした。

1月のメッセージ

― 1月のメッセージ ―
『コロナ禍を生きる』
       牧師 藤田浩喜
「また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」(ルカによる福音書13章4~5節)
新型コロナウィルス感染症第3波の拡大が止まりません。私たちの社会も教会も混乱と不安の中に置かれています。有効なワクチンが一日も早く全国民に行き渡るのを願わずにおれません。ところで人間は、これまでの歴史において幾度となく、大規模な感染症を経験してきました。イスラエルを含む古代西アジアの人々も例外ではありません。人々は疫病(=感染症)をどのように受けとめてきたのでしょう。旧約学者の月本昭男氏によると、西アジアの多くの人々は、疫病を神の怒りや疫病神の仕業に帰し、「祟り」と考えました。そして儀礼と献げ物をもって神を宥め、疫病を遠ざけようとしました。それに対して旧約聖書の信仰者たちは、これを神からの「処罰」と理解したというのです。処罰と祟りは、微妙に異なります。人間の能力を超えた災厄が神からの処罰であれば、神を宥めても始まりません。人々はそこから罪の自覚へと促され、自分たちの生きざまに反省を迫られます。自らの罪を悔い改め、神に立ち帰らなければなりません。それと同じように、現在私たちが遭遇しているコロナ禍も人間のあり方に対する神からの処罰と受け止めつことができるのではないでしょうか。もちろん、冒頭の聖書にあるように、被害に遭遇した人たち(十八人)が特に罪深かったから起こった、というのではありません。犯人捜しができるようなことではありません。そうではなく、その疫病や災害を被った時代や社会に、自覚すべき罪があり、反省すべき過ちがあるのです。私たちの時代や社会が、神の御心に背く致命的な方向に向かってはいないかと、自ら顧みる必要があるのです。ただ、疫病にせよ、災害にせよ、それらが起これば、犠牲になるのは富者よりも貧者、健常者よりも障がいを抱えた人たち、強者よりも弱者です。神による処罰にそうした不条理があってよいものか、というのは大きな課題です。時代と社会への罰であれば、連帯してそれを負っていかなくてはならない。悔い改めは、そこにまで思いいたる必要があると思います。

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