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教会の言葉

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12月のメッセージ
2018-01-19
『神は我らと共に』
「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」     
(ルカによる福音書2章6~7節)    
     牧師  藤田浩喜
クリスマスの物語は美しく牧歌的に描かれていますが、ヨセフとマリア、そしてみどり子が経験した現実は過酷でした。彼らは皇帝アウグストゥスの命令で、故郷のナザレからベツレヘムに旅をします。それは皇帝が全支配地の住民登録をするためでした。住民はもともと先祖たちが出た出身地に行って、住民登録をしなければならなかったのです。住民登録は徴兵と徴税のために行われました。ローマ皇帝が支配を拡大し強固なものとするために、人々を戦争に駆り立て、税金を取り立てたのです。いつの時代も為政者は戦争をしたがります。戦争によって勝ち取るものが大きいだけではなく、戦争をすること自体が軍需産業(=武器商人)を潤すからです。そしてその莫大な利益の代価を、徴兵された国民が血と命によって贖うことになるのです。神の御子は、そのような大きな政治的思惑に弄(もてあそ)ばれるかのような状況の中で、誕生されるのです。神のみどり子が誕生されたのは、馬小屋の飼い葉桶であったと言われます。馬だけでなく、他の家畜もいたことでしょう。「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とは、彼らが本来人の泊まる場所に居ることができなかった、人としての生活ができなかったということです。寒村ベツレヘムに住民登録の人々が押し寄せ、宿が足らなかったということかもしれません。あるいは貧しく、いつ子どもが生まれるか分からないような面倒な客を泊めてくれる宿がなかったということかもしれません。いずれにしても、内戦のために祖国を脱出して他国に身を寄せねばならない難民の人々、大きな災害のために避難所や仮設住宅で過ごさなければならない人々の姿が思い浮かびます。そのような人々の一人として、神の御子はこの世界に誕生されたのです。この神の御子誕生の出来事は、神が御子イエス・キリストにあって、誰のために、どこにおられるのかということを、さやかに指し示しています。世の支配者は、そのほとんどが、人々の置かれた状況からかけ離れたところで生活しています。しかし私たちの神は、御子にあって、私たちの最も厳しく過酷な状況の中におられるのです。私たちが最底辺と思われる、さらにその下のおられて私たちを支え、私たちの重荷を共に担い続けてくださるのです。その神を身近に感じるのが、クリスマスの時です。(2017年12月)

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