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教会の言葉

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7月のメッセージ
2018-08-24
『一番大事なものは何?』
「イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』」(ルカ福音書19章10節)
                         牧師  藤田浩喜
ザアカイは、エリコの町の徴税人の頭でした。彼は金持ちでしたが、町の人たちからは忌み嫌われていました。それは徴税人が支配者であるローマ帝国の手先になっていたからであり、大抵の者が、徴税によって私腹を肥やしていたからです。彼は金を儲けるという人生の目的を果たすことはできましたが、それは決して彼の心を満たすものではなかったのです。彼は徴税人や罪人をも分け隔てなく接する主イエスの噂を聞いたのでしょう。そこで、この人をぜひ見たいと思ったのです。ところが、通りには人だかりができており、背の低いザアカイは主を見ることができません。前に出ようとすると、町の人たちはこの時とばかり、彼の邪魔をいたします。そこでザアカイは、先回りしていちじく桑の木に登り、葉の陰から主イエスを見ようとしたのです。彼の心の何かがそれを促したのでしょう。すると主イエスは、最初からそこにザアカイがいることをご存じであったかのように、彼に語りかけられます。それどころか、「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(5節)と述べられたのです。原語では、「泊まらなければならない」となっています。泊まる、その家の客になるということは、尋常なことではありません。町の人々が批判しているように、罪深い男ザアカイと交わりを持つということです。神の遣わされた御方が、ご自身との交わりの中に迎え入れてくださる!そこにザアカイは、自分が本当に立ち帰る場所を見出したのではないでしょうか。それはこれからの生き方を、彼が見出した瞬間でもあったと思います。だからこそザアカイは、その日、自分の財産の半分を貧しい人に施し、不正な取り立てに対してはそれを四倍にして貸します、という申し出をすることができたのです、「失われた」とは、有罪判決や破滅を意味してはいません。あるものが本来あるべきところから逸脱して誤った場所に置かれているにすぎません。そういうものを見つけたならば、本来の場所に戻してやればよいのです。主はザアカイだけでなく、神から離れてしまった私たちすべての者を、本来の場所に戻してくださいます。神さまの大いなる愛と慈しみの御手の中にある自分を見出すことが、何よりも大事なのです。(2018年7月)

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