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教会の言葉

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10月のメッセージ
2011-11-18
目標を目指して走る                       
          西宮中央教会牧師  藤田浩喜         

「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」
 (フィリピの信徒への手紙3章13〜14節)

10月は運動会がよく行われる月です。運動会の華はリレー競争ですが、最近のリレーは男女が混合という場合が多く、1チームの人数も7〜8人までと少なめです。順位を競い合うというよりも、一人一人の成長ぶりやがんばっている姿を見てもらいたいという意図が、そこにはあるのでしょう。運動会は、運動があまり得意でない子には少しつらい行事です。運動が得意な子もいれば、勉強が得意な子、絵や音楽が上手な子もいます。そういうことからすれば、他の子と較べて遅いか速いではなく、その子がどれだけ成長し逞しくなっているかに、目を注いであげたいものです。さて、使徒パウロという人はスポーツ好きだったのか、彼の手紙にはボクシングのことや陸上競技のことが出てきます。最初に挙げた聖書の箇所でも、マラソン・ランナーに自分をなぞらえながら、信仰者としての自分のあり方を語っています。この信仰のマラソンのゴールは、「何とかして死者の中からの復活に達したい」(3章11節)ということです。キリストの復活のいのちにあずかるということです。当時パウロの周りには、自分は霊的に復活し完全な者となっていると、豪語する人たちがおりました。それに対してパウロは、自分は「既にそれを得たというわけではなく、完全な者となっているわけでもありません」と言います。そして、自分はゴールを目指して今なお途上にあり、「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ・・・ひたすら走っている」状態にあるのだというのです。キリストの復活のいのちにあずかることは、罪によって死に定められた私たち人間にとって、最大の悲願です。パウロはそれが簡単に得たとか既に捕えたとはいえない、至高のものであることを知っています。しかしパウロは同時に、この目標を目指して走り続けることが、目標へと至る唯一の道であることを知っています。まぜなら信仰者は、「わたしは道であり、真理であり、命である」と言われたイエス・キリストという道を、走っていく者たちだからです。キリストご自身が、私たちを目標へと至らせてくださるからです。私たちは他の人と競争したり、他の人を羨んだりする必要はありません。自分なりの足取りで、自分に合ったペースで、この道を進んで行けばよい、それは必ずやゴールへと到達するのです。最後まであきらめないで走り続けることだけが大切なのです。(2011年10月)

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