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教会の言葉

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11月のメッセージ
2011-12-16
ゆだねられているものをまもる                      
          西宮中央教会牧師  藤田浩喜         

「キリスト・イエスによって与えられている信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい。あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。」
 (テモテへの手紙二1章13〜14節)

少し前ですが、「天国からのエール」という映画を観てきました。沖縄の本部町で弁当屋を営む大城陽(阿部寛)は、町の高校生たちがバンドの練習場がなくて困っているのを見て、お金を工面し高校生たちにも手伝ってもらって、お店のガレージに練習場を作ってやります。バンドに夢を抱く比嘉アヤ(桜庭ななみ)たちは大喜び。陽はアヤたちに、「練習場も機材も自由に使っていい、お金はいらない」と言いますが、彼らに条件を出します。それは「挨拶をすること、赤点を取らないこと、人の痛みがわかる人間になること」でした。練習場ができた後も、陽は時々耳痛いことをアヤたちに言いながらも、バンドに夢を抱く彼らを応援します。アヤたちも“ニーニー”と呼んで陽を慕います。しかしそんなある日、陽の体にあったガンが再発し、アヤたちに最後までエールを送りながらこの世を去るのでした。この映画は、2009年に43歳で亡くなった仲宗根陽さんの実話に基づいて作られたものなのです。
この映画の中で、妻の美智子(ミムラ)から陽は、「なんで、赤の他人の高校生のためにそこまでするのか!」と問われます。当然な思いです。しかし、陽はこんなふうに応えるのです。「赤の他人だから、そうしたいんだ。俺の若い頃には、お金も払わずに大切なことを教えてくれた大人たちが何人もいたわけよ」。陽は自分の後に続く世代に、たとえ身銭を切ってでも大切なことを教え、若い人たちを後押ししてやるような社会であってほしい、大人と若い世代がそんな関わりを持つような世の中であってほしいと、願ったのだと思うのです。しかし、現状はそうではありません。今の時代は、若い人たちに全然やさしくありませんし、思いやりもありません。成果主義、自己責任の旗印のもとに、若い人たちは社会の荒波に放り込まれます。波にうまく乗ることができず、非正規雇用を余儀なくされ、将来に展望を見いだせない若い人たちがたくさんいます。しかしそれは、彼らのせいでしょうか? 私たち大人は、育ちゆく世代のために、どれだけ身銭を切って大切なことを教えようとしてきたでしょうか。これからの人たちを、どれだけ愛情をもって育てようとしてきたでしょうか?
 「私たちにゆだねられている良いものを、失わずに守り続ける。」無私の思いをもって若い人たちにエールを送り続ける。そこに信仰もまた、伝えられていくのでしょう。(2011年11月)

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