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教会の言葉

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6月のメッセージ
2020-07-17
『悲しみを共にして下さる主』   
        牧師 藤田浩喜
「それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。」     
  (ヘブライ人への手紙2章17節) 
NHKのBSプレミアムで朝7時15分から「はね駒」という朝ドラの再放送をしています。これは1986年4~10月に放映されたもので、7時30分からの「エール」(今放送されている朝ドラ)と同じく、福島県が舞台の一つとなっています。このドラマの中で、中河鶴次(矢崎滋)というキリスト教の宣教師が登場します。仙台藩で漁師の三男として生まれた人ですが、福島県の相馬など東北地方で地道な伝道を続けます。善人が服を着たような人で、主人公の、りん(斉藤由貴)が東北女学校(宮城女学院がモデル)に入学するためにも尽力します。鶴次先生と親しまれ、讃美歌は音を外してしまいますが、皆から愛されています。奥さんと3人のお嬢さん、そして男の子も与えられます。その男の赤ちゃんの顔見せに、宮城県志津川町の漁村に帰省します。するとその時に、明治三陸地震・大津波(1896年)が起こり、奥さんと4人の子どもたちが行方不明になってしまうのです。鶴次先生は魂の抜け殻のようになってしまいます。りんに向かって「あの小さな子どもたちが、どんな悪いことをしたというのでしょう。わたしがこんな目に遭うのは、わたし自身が神さまに大きな罪を犯したから。わたしが罪人に他ならないからです。」と言います。途方もない悲劇を前に、自分を責めることしかできないのです。するとそんな鶴次は、同じように津波で家族を失った、きよという小さな女の子に出会います。きよもお母さんお父さん恋しさに、何度も避難所を抜け出して海に行ってしまいます。しかし、そのいたいけな、きよの姿に触れて、鶴次は小さな心の灯のようなものを見いだします。そして、きよを新しい家族として、二人は新しい歩みを始めていくのです。人は時として途方もない悲劇に遭遇してしまいます。私たちが「なぜ?」と問うても、答えは見つかりません。神さまの深すぎる御心は、知る由もありません。しかし、私たちの主イエスは、あの、きよのように、私たちと同じ悲しみや苦しみを味わった者として、私たちの傍らにいてくださいます。神さまは、遠く離れた高みにいますのではなく、私たちと同じ悲しみを分かち合って下さる方です。(2020年6月)

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