教会の言葉
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あなたに欠けている一つ
西宮中央教会牧師 藤田浩喜
「あなたに欠けているものがまだ一つある。持っている物をすべて売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい。・・・それから、わたしに従いなさい。」(ルカ福音書18章22節)
だれもが幸せになりたい、幸せな状態がずっと続いてほしいと願っています。しかし私たちは、いずれ死を迎えこの地上を去らなくてはいけません。この事実は喉に刺さる小骨のように、私たちの心に引っかかっています。それだからこそ、死後のことにおいても確信を得たい、安心を与えられたいと、人は願うのではないでしょうか。冒頭の聖書に登場する「ある議員」もそうでした。マタイ福音書では「金持ちの青年」となっています。彼には地位も名誉もお金もありました。彼はまた、子どもの頃から律法の掟をきちんと守ってきました。まさにユダヤの社会において非の打ち所のない立派な青年でした。しかし彼は、死後のことに確信が持てなかったのだと思います。死後も自分の命は保たれているか、平安のうちに過ごすことができるのか。だからこそ彼は、「永遠の命を受け継ぐ」方法を主イエスに尋ねないではおれなかったのです。それに対して主は、どうお答えになったでしょう。主イエスのお答えは、彼を満足させるものではありませんでした。最初に主は「なぜ、わたしを『善い』というのか」と反発されます。また主が挙げられた掟は、彼が幼い日から守ってきたことばかりでした。そして止めを刺すように、「持っている物すべてを売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい」言われたのです。彼は悲しみながら、立ち去るほかはなかったのです。いったいどこに、彼の問題があったのでしょうか?主イエスは「あなたに欠けているものがまだ一つある」と言われています。この一つは、すぐ前の「神ひとりのほかに、善い者はだれもいない」という主の言葉に深く関係しています。つまりこの青年は、あくまでも自分が主人公であって、自分の考えや努力によって、死後の確信を得ようとした。この青年には、ただおひとりの善い者である神に、まず心から委ねるという信仰が欠けていたのです。この箇所のすぐ前には、主イエスが乳飲み子を招いて祝福される記事がでてきます。主はそこで「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」と言われています。子どもが親にすべてを委ねて安心しているように、神さまにすべてを委ねて安心して従っていくこと、その欠くべからざる一つのことが、この青年には欠けていたのです。持っている財産を売り払えとの言葉も、彼の目の前にある障害を取り除き、彼が主に従うことができるようにとの、招きの言葉でありました。死後の平安への確信は、神がお与えくださるのです。(2012年6月)