本文へ移動

教会の言葉

バックナンバー

12月のメッセージ
2021-01-22
『飼い葉桶にねむる御子イエス』   
           牧師 藤田浩喜
「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」  (ルカによる福音書2章6~7節) 
「トントントン宿屋さん どうか一晩とめてください♪」「どこのお部屋もいっぱいですよ 困った困ったどうしよう馬小屋ならば空いてます さあさあどうぞ お入りください♪」。幼稚園の聖劇で、ベツレヘムにやって来たヨセフとマリアが、宿屋さんと交わすせりふです。聖書を読む限り、詳しい状況はわかりません。住民登録のため、人でごった返していた小さな村には、出産できる場所など、なかなか見つからなかったでしょう。でも困っている若い夫婦を見て、とにかく安心して出産できる場所を貸してくれる人がいた。それが馬小屋だったということではないでしょうか。子どもが誕生するというのは、周りの者たちにとっても大きな喜びです。放ってなどおけません。何かできることはないかと探します。そうした小さな善意が、彼らを馬小屋へと導き、御子イエスが馬小屋で誕生し、飼い葉桶に寝かせられることになったのです。「布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」。神の御子が、宮殿や大きなお屋敷のベッドではなく、家畜のえさを入れる飼い葉桶に寝かせられた。それはあり得ないことであり、神の御子の栄光とは対極にあることです。しかし、この飼い葉桶は他のどんなものよりも、神の御子の誕生の意味と目的を、さやかに指し示しています。神の御子は「神の身分でありながら、神と等しい者であることを固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者となられました。」(フィリピ2:6~7)。御子イエスは自らへりくだり、どんなに貧しく、悲惨な境遇にある人間とも、同じ境遇に身を置いてくださいました。それだけでなく、私たち人間の罪を身代わりになって負うために、僕となって仕えてくださったのです。飼い葉桶はその誕生から二千年以上も、その驚くべき神の救いの御業を私たちに証しつづけてくれているのです。クリスマスには、シュトーレンという中身の詰まった白い衣でおおわれたケーキを、毎日少しずつ食べます。その姿形は、おくるみに包まれた御子イエスを表していると言われます。神の恵みを日々かみしめて、味わいたいと思います。(2020年12月)

日本キリスト教会
西宮中央教会

〒662-0832
兵庫県西宮市甲風園
2丁目4番15号
TEL.0798-67-4347
FAX.0798-67-4561

TOPへ戻る