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教会の言葉

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1月のメッセージ
2013-02-22

「愛は多くの罪を覆う」
               
              
  西宮中央教会 牧師 藤田浩喜
 「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。不平を言わずにもてなし合いなさい。」
  (ペテロの手紙一 4章8〜9節)

「新約聖書の倫理は、基本的に終末の緊張感で貫かれている」と言われます。実際冒頭の聖書も、「万物の終わりが迫っています」という切迫した終末意識の中で語られているのです。しかし現代の私たちには、聖書に書かれてはいても、終末が迫っている実感は乏しいのではないでしょうか。中国かどこかで、世界の終わりを喧伝するキリスト教(?)のグループがありましたが、彼らの言動は私たちクリスチャンにも奇異なものに感じられたのです。しかし、この世界の終末はともかく、私たち各自の終末(=死)はいつやって来るかわかりません。10年後かもしれないし明日かもしれない。クリスチャンは復活を信じるがゆえに、自分の死を見つめて生きています。私たちはそのような終末意識の中で、聖書の語る倫理を受けとめていかなくてはならないのではないかと思います。では、クリスチャンにはどのような倫理が勧められているのでしょう。一つは「心を込めて愛し合いなさい」ということです。「愛は多くの罪を覆う」と、すばらしい御言葉が語られています。この御言葉は、箴言10章12節の次の言葉にルーツを持っていると言われます。「憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。」しかしこの御言葉は、何か感動的なことを言っているのではなく、「愛は悪事を帳消しにする」という意味だと註解者は言うのです。とても日常的なことが意図されているようなのです。教会の中でも、いろんなことが起こり得ます。自分が非難されたり、自分の意見が無視されたように思うこともあるかもしれません。そのとき相手に腹を立てることも、相手を許そうとすることも、どちらも可能です。憎むことも愛そうとすることも、私たち次第です。しかし、緊張感を失わない終末意識の中で、「あえてあなたは愛しなさい」、「愛する方へ向かいなさい」と励まされ、促されているのです。もう一つ言われているのは、「不平を言わずにもてなし合いなさい」ということです。これはご馳走をしなさいというのではなく、旅人である信仰仲間を快く受け入れ、もてなし、休息を与えなさい、ということのようです。パウロやペテロを見てもわかるように、当時の宣教者は各地を巡回しながら伝道をしました。そのこともあって、旅人をもてなすことは、当時の伝道活動を支える大切な奉仕でもあったのです。今に置き換えて言えば、家庭を教会の家庭集会の場に提供するということになるのでしょう。いずれにしても、限られた人生を生きる私たちです。善きわざをもって主に仕え、教会に仕える日々を送りたいと思います。(2013年1月)  
          

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