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教会の言葉

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10月のメッセージ
2010-12-09
「目からうろこが落ちる」
          
西宮中央教会牧師  藤田 浩喜

 「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、元気を取り戻した。」(使徒言行録9章18〜19節)

何か今まで気づかなかったことが突然わかったとき、「目からうろこが落ちる」と言います。若い人たちも、わりによく使う言い方だと思います。この「目からうろこが落ちる」は、辞書によれば「あることをきっかけにして、急に物事の真相や本質が分かる」とありましたが、実は、冒頭にかかげた新約聖書の個所から生まれた言葉なのです。
サウロ(後のパウロ)は、とても熱心なユダヤ教徒で、イエスを救い主として宣教するキリスト者を憎んでいました。彼はユダヤ官憲の許可のもと、ダマスコにいるキリスト者を捕まえようと息をはずませていました。すると、ダマスコ途上で、突然天からの光に打たれ、その場に倒れてしまいました。そのとき彼は、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という復活の主イエスの声を聞きます。彼はやっと立ち上がり、目を開けてみますが、何も見えません。サウルは手を引いてもらい、ダマスコのキリスト者であったアナニアという人の家に行きます。そしてアナニアが彼の上に手を置き、言葉をかけます。すると、彼の目から、たちまちうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになったのでした。新約聖書ではこの個所は、「パウロ(サウロ)の回心」と呼ばれています。そしてこの回心の記事は、使徒言行録という書物の中に、3回も出てくるのです。
 パウロの場合、突然明らかにされた物事の真相は、彼が憎んでいたイエスがキリスト(救い主)だということでした。彼はキリスト者と同じ神さまを信じていましたが、イエスは否定すべき存在でした。しかし、復活された主イエスが彼に出会ってくださることによって、神さまがこのイエス・キリストを世に救い主として遣わし、このキリストによって世の人々を罪と死から救われたということが分かりました。目からうろこが落ち、今まで見えなかった神の救いの業が、はっきりと見えるようになったのです。
 「目からうろこが落ちる」と感動です。それがどんなにささやかなことであっても、自分が少し新しくなったような気がします。しかしイエス・キリストとの出会いは、それとは比較できない位の大きな感動を与えてくれます。私たちの人生そのものが、新しい意味と方向性を持ったものとして目の前に現われるのです。(2010年10月)

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