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教会の言葉

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4月のメッセージ
2013-05-17

「主において喜びなさい」
               
                            
西宮中央教会 牧師 藤田浩喜
 「主において常に喜びなさい。重ねて言います。
喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に
知られるようにしなさい。主はすぐ近くにおられます。」
 (フィリピの信徒4章4〜5節)  
  
ある教会員のお宅を訪問したとき、ダイニングの棚の上に「喜」と一文字書いた額が飾られていました。その「喜」の文字は、とても力強く活き活きしており、見る者に元気を与えてくれるような迫力がありました。わたしの名前の一字なので自然と目に留まったのかもしれませんが、今も強く印象に残っています。冒頭の聖句においてパウロは、フィリピの教会の人々に「喜びなさい」と勧めます。パウロは、「喜ぶ」ことこそがキリスト者にふさわしい姿である、と考えていたのでしょう。それに続けて彼は、「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい」とも、勧めています。逆境にあっても、困難に取り囲まれていても、顔から「喜び」の表情が失われないキリスト者がおられます。世の人々は、そのキリスト者の「広い心」に驚き、関心を抱きます。「なぜ、あのような逆境にあっても、あの人から喜びが失われないのだろうか」と、不思議に思います、興味を抱き
ます。「喜んでいる」キリスト者をとおして、証しがなされていくのです。しかし、わたしたちが「喜ぶ」のは、相応の理由があるからです。やせ我慢の「喜び」は痛々しいだけで、その人に「広い心」を感じることはありません。「入学試験に合格した」、「愛する人にプロポーズされた」、「会社で昇進した」、「株が値上がりして大儲けした」、「長い間手がけていた仕事が完成した」、「子どもたちが立派に成人した」等々。大から小まで相応の理由があるからこそ、わたしたちの心に「喜び」が湧き上がるのです。では何が、キリスト者の心に「喜び」を湧き上がらせてくれるのでしょう?パウロはこの手紙を書いたとき、エフェソの獄につながれていたと言われます。福音宣教のゆえに、彼は殉教の死をも覚悟しなければならない状況にありました。そのような彼に、何が「喜び」をもたらしたというのでしょう?パウロは「主において常に喜びなさい」と言います。また彼は「主はすぐ近くにおられます」と言っています。これは単に、主の再臨の近さだけを述べる言葉ではありません。十字架につけられ、死に打ち勝って復活された主イエスが、わたしたちの「すぐ近く」におられる、わたしたちと共におられる。その主の御臨在こそが、わたしたちを安心させ、喜びで満たし、わたしたちの心を広やかにしてくれるのです。わたしたちの教会が、御臨在の主が与えてくださるこの「喜び」に満たされますよう、祈りを合わせましょう。(2013年4月)

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