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教会の言葉

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8月のメッセージ
2013-09-13

「失われたものを捜す主」
               
             西宮中央教会 牧師 藤田浩喜
 「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
    (ルカによる福音書 19章9〜10節)  
有名な徴税人ザアカイの記事です。この箇所の少し前には、金持ちの議員が主イエスを訪ねながら救いにあずかることができなかったという記事があります。同じ金持ちでも、ザアカイは自分の罪を悔い改めて主イエスの救いにあずかることができました。この二人には、どこに違いがあったというのでしょう。ザアカイは徴税人の頭でした。当時の徴税人は二重の意味で同胞の民から嫌悪されていました。ユダヤを支配するローマ帝国の手先になっているということ、ローマから入札で徴税権を得た彼らは、ローマに収める税金にかなり上乗せして民から税金を搾り上げていたことです。そのため彼らは、同じ空気を吸うのも嫌だというほど嫌われていたのです。またザアカイは「背が低かった」と言われています。彼は背の低さと人々の冷たい視線に阻まれて、主イエスを見ることができず、いちじく桑の木に登るのです。ザアカイは金持ちではありましたが、友だちもいなければ、やさしい言葉をかけてくれる隣人もいない。お金以外には何も持ってない失われた存在でした。金持ちの議員のように、多くの美点に恵まれた人ではありませんでした。しかし、お金の他に何も持たない失われた人であったからこそ、本当の意味で主イエスと出会うことができたのです。いちじく桑の葉陰から主イエスを見ようとするザアカイに、主イエスは呼びかけられます。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」主イエスがザアカイと面識があったとは思われません。だから主イエスは、ザアカイが主と会おうとする前から彼のことを知っていたことになります。また、「ぜひあなたの家に泊まりたい」というのは、徴税人の家の客となりたいとの申し出です。この申し出がいかに常識はずれの行為であったかは、人々のつぶやきの言葉からもうかがえます。しかしだからこそザアカイは、失われた存在であるような自分を、主イエスが捜し出して救うために来られたということが、はっきり分かったのです。あの金持ちの議員のように、主イエスを何か役に立つことを教えてくれる教師のように見たのではありません。そうではなく、主イエスが自分のために、失われた存在である自分の救い主として来てくださったことが、ザアカイには明確に分かったのです。だからこそザアカイは、自分の財産の半分を貧しい人々に施し、不正な徴税に関しては4倍にして返しますとの驚くべき申し出を、その場ですることができました。救い主を見出した以上、お金を頼みとする必要はなくなったのです。(2013年8月)

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