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教会の言葉

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12月のメッセージ
2011-01-13
私たちの貧しさのために       西宮中央教会牧師 藤田浩喜

「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたがゆたかになるためだったのです。」(コリントの信徒への手紙二8章9節)

聖書のクリスマス物語を見ますと、そこには当時の貧しい人たちが登場します。御子イエスの父母であるヨセフとマリアはナザレの貧しい大工の夫婦でした。また、飼い葉桶の御子イエスを最初に拝みに来たのは、貧しく蔑まされていた羊飼いたちでした。
そして聖書は、「いと高き方の子」ある御子イエスが、王宮や金持ちの邸宅ではなく、粗末な家畜小屋の飼い葉桶にお生まれになったことを告げるのです。クリスマスの出来事は、どうして華やかさや豊かさではなく低さや貧しさと関係づけられているのでしょうか。
冒頭の聖句において「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた」とあります。そしてその理由として、「主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだった」と言われています。ここには私たちの貧しさが前提になっており、貧しい私たちを豊かにするために、御子イエスが貧しくなられた、つまり私たちの世界に来てくださったということが書かれているのです。神さまは、私たちの貧しさを見ておれなかった、放っておけなかったと言われるのです。
 貧しい飢餓線上にある国ならともかく、今の日本のどこが貧しいのかと、言われるかもしれません。私はよく自分の子どもに言うのですが、私たちは世界的に見れば、王侯貴族のようなぜいたくな暮らしをしています。表面上は、貧しさとは縁のないような暮らしです。しかし、私たちは本当に豊かなのでしょうか。ある人は、豊かであることは、「本当に必要なものとそうでないものを区別して、優先順位をつけることができること」、「本当に必要なもののために、そうでないものを放棄する自由をもっていることだ」と言いました。確かに私たちの身の回りには、最新かつ便利な物があふれています。しかし、それよりももっと必要なもの、つまり困窮した人への優しさ、悲しんでいる人への思いやり、他者と分かち合うことの喜びなどを、失っているのではないでしょうか。困っている人を見ておれない、悲しんでいる人を放っておけないという人間らしい心が貧しくなってしまっているのです。それは物の豊かさでは埋め合わせできない、最も深刻な貧しさなのです。
 そのような貧しさに私たちが気づき、真の豊かさを取り戻すことができるように、御子イエスは、この世に誕生されたのです。
(2010年12月)

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