教会の言葉
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平和の井戸を掘ろう
西宮中央教会 牧師 藤田浩喜
「イサクはそこから移って、更にもう一つの井戸を掘り当てた。それについては、もはや争いは起こらなかった。イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、『今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった』と言った。」(創世記26章22節)
先日8月4日(月)「韓日青少年交流ツアー2014」の開会礼拝が在日大韓基督教会名古屋教会で行われ出席しました。その中で同教会の金性済牧師が、聖書のテキストとして取り上げられたのが冒頭の箇所です。この箇所は前回の聖書の学びと祈祷会で読んだ箇所ですが、飢饉が起こったときイサクは、エジプトに逃れようとするのを神さまに止められます、彼は約束の地カナンに留まりますが、先住民であるペリシテ人とのあつれきが絶えず、各地を転々とします。行く先々でライフラインである井戸を掘りますが、ペリシテ人に埋められてしまいます。しかしそれでもイサクは井戸を掘り続け、とうとうレホボト(広い場所)で井戸を掘るに及んで、ペリシテ人との争いは起こらなくなりました。そしてイサクは、ペリシテの王アビメレクと平和の契約を結び、和解の食事をしたのでした。金性済牧師は、この箇所を取り上げ、「レホボトまでたどり着くのは、たやすいことではなかった。何度も涙を流した。しかしエジプト行きを止められたとき、イサクは神の御心に従う決心をした。そこに神の御心があることを信じ、耐え抜いた。そしてついに、深い御心を知らされた。それは、レホボトに至ることであり、そこに住む民との和解であった。」と言われました。そして金牧師は、「戦前から日本にいろんな事情でやって来た朝鮮半島の人々がおり、戦後に新しく日本にやって来た人々がいる。その人たちによって、現在日本には100程の在日大韓基督教会の教会がある。そのような人々がおり教会が建てられているのは、韓国と日本の間にレホボトの井戸、平和の井戸を掘る事業があるからであり、そこに神さまの御心があると信じるからである。このツアーに参加された若いみなさんが、心の井戸掘りをしてくださるよう心から願っている」と結ばれたのでした。とても力強い説教であり、大変感銘を受けました。寄留のイサクと在日の方たちの生き方が重なり、聖書の御言葉が経ち現われてくるような感動を覚えました。しかし、日本社会にあって少数者である私たち日本のキリスト者も寄留の民です。主の御心を信じて、レホボトの井戸を掘る者なのです。(2014年8月)