教会の言葉
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西宮中央教会牧師 藤田浩喜
「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」。
(ヘブライ人への手紙11章3節)
8月22日(月)から1週間休暇をいただいて、妻の故郷である福島県に行ってきました。同じ福島県でも、教会で野菜を購入している南会津に行きますと、放射能は微量であり、栃木県の宇都宮市の方が県庁所在地の福島市よりずっと近いという位置関係にありました。しかしその位置関係が実感できないために、福島県というだけで震災以降観光客が激減していると、宿のご主人夫妻が話しておられました。24日(水)に小学校の教師をしている義弟夫婦の案内で、津波被害が甚大だった相馬市に行きました。がれきの撤去はかなり進み、海沿いの一区画にうず高く積まれていました。海沿いには、土台だけが残る一帯が広がり、少し離れた場所には一階部分だけが激しく破壊された家屋がいくつも建っていました。震災前に何度もこの地を訪れていた義弟は、あったものが存在していないその変わり果てた姿に、しばらく言葉を失ってしまった。テレビの映像では何度も見ていた光景ですが、実際その場に立つと、大津波がいかに多くのものを根こそぎに奪っていくかを思い知らされました。相馬市の南西10キロほどのところに、「計画的避難区域」に指定された飯館村があります。この村は福島第一原発から、30キロ以上離れていますが、風向きや事故直後の天候の関係で放射線の数値が異常に高くなり(毎時20マイクロシーベルト以上)、約6100人の村民全員が村外への避難を余儀なくされてしまいました。今年6月末までに村民の避難は完了していますが、原発事故から避難までの飯館村の苦悩と苦闘は、菅野典雄村長の著書『美しい村に放射能が降った―飯館村長・決断と覚悟の120日―』(ワニブックス新書)に詳しく記されています。放射線の量が危険だから避難しなくてはならない。私たちは簡単に考えますが、事柄はそう簡単ではありません。村民は住居や仕事はもちろん、これまで築き上げてきたコミュニティの諸関係をもすべて失うことになってしまうのです。菅野村長をはじめ飯館村の村民はそれを避けるため、住居は移すものの、飯館村近くの場所に村民が居住できるように配慮し、学校機能もそっくりそのまま移すようにしました。また、屋内での仕事は村内でも継続できるようにし、村内の家屋を守るために「見守り隊」を発足させ、政府の補助金を得ることによって雇用機会の一つにもしたのでした。行き先のわからない旅を強いられた飯館村の実践に、多くを教えられる気がします。(2011年9月)