教会の言葉
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2月のメッセージ
2020-03-13
『祈るネヘミヤ』
牧師 藤田浩喜
「おお、わが主よ、あなたの僕の祈りとあなたの僕たちの祈りに、どうか耳を傾けてください。わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。どうか今日、わたしの願いをかなえ、この人の憐れみを受けることができるようにしてください。」(ネヘミヤ書1章11節)
ネヘミヤはペルシャ王アルタクセルクセス王に仕える献酌官でした。言わば王の側近です。どれほど大きな信頼を寄せていたかがわかります。しかしネヘミヤは、ユダからペルシャに連れて来られた捕囚の民の末裔(まつえい)でした。ペルシャの寛大な植民地政策により、捕囚の民は故郷のユダに帰還することも、ペルシャに残留することもできました。ネヘミヤは後者の子孫でしたが、故郷ユダには深い思い入れがありました。ところが、ユダから来た人たちから、現在のユダの惨状を聞かされたのです。「エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです」(3節)。これを聞いたネヘミヤは、「座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた」(4節)のでした。その祈りは旧約聖書の模範的な祈り(5~11節)と言われています。ネヘミヤは、契約をお守りになる慈しみの神に、祈ります。彼はイスラエルと自分の罪を率直に告白します。捕囚の憂き目に遭ったのは、神の御旨に従わなかった結果であると認めるのです。しかし罪を深く悔いつつも、神に立ち帰る者をもう一度集め、選んだ地に連れ帰ると約束された神の御言葉に寄りすがりつつ、贖われた民の切なる祈りを聞いてくださいと、祈り続けるのです。罪を心から告白すること、その罪を贖い立ち上がらせてくださる主に固着して離れないこと、望みを失わず祈り続けることが、祈りの本質なのです。ネヘミヤは、思慮深く、物事を考え抜く人でした。それと同時に積極的に行動する人でもありました。アルタクセルクセス王に大胆にも直訴して、ユダの総督として自分を派遣してほしいと願ったこと、ユダの再建に赴くために、旅の安全と家を建てる材木を抜かりなく確保していることからも、それがわかります。しかし、そのような彼を最も深い所で支えていたのが、ヤハウェなる神の御前にひれ伏し、祈りを注ぎ出すことであったのです。神さまの御業に仕えるために、祈りを欠かすことはできません。祈りこそが、御業が展開されていくための原動力なのです。(2020年2月)