教会の言葉
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「使徒パウロの手紙」
西宮中央教会 牧師 藤田浩喜
「あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく悔い改めたからです。」
(コリントの信徒への手紙二 7章8〜9節)
パウロは、彼が建てた教会やこれから訪問しようとする教会(ローマの教会)に手紙を書きました。現在パウロ自身が書いた手紙として、ローマの信徒への手紙、コリントの信徒への手紙一、二、ガラテヤの信徒への手紙、テサロニケの信徒への手紙一、フィリピの信徒への手紙、フィレモンへの手紙の7通が考えられています。また、エフェソの信徒への手紙、コロサイの信徒への手紙、テサロニケの信徒への手紙一、テモテへの手紙一、二、テトスへの手紙の手紙の6通も、パウロの考えを受け継ぐ人たちによって、彼の考えと精神をもって書かれたと考えられています。パウロという伝道者は自分が建てた教会を愛し、後々までその教会のために心を砕きました。「建てたらお終い!」というのではなく、何度もその教会を訪問し、その地の信仰者を励まし支えています。自分が行けない時は、テモテやシラスといった後輩の伝道者を派遣し、彼らに牧会の業をゆだねています。そしてもう一つ、パウロが諸教会を励まし指導するのに用いたのが、手紙という手段だったのです。冒頭の聖句はコリントの教会に宛てられた手紙で、「涙の手紙」と言われています。パウロは、コリントの人々が間違った方向に進んでいこうとしていることに気づき、彼らを正しい信仰に立ち帰らせようと、切々とした内容の手紙を書きました。コリントの人々にとって厳しい内容ではありましたが、彼らはパウロの手紙を読み、自分たちのあやまちを悔い改めました。パウロはそのことをテトスを通して知らされ喜び、神さまに心からの感謝を捧げているのです。パウロは、同じくコリント伝道をしたアポロのように雄弁ではなかったようです。どちらかというと、語ることは不得手であったようです。しかしパウロは、自分の得意な手紙という手だてによって、各地の教会に語りかけました。信仰の間違いがあれば正し、困難の中で闘っている信仰者たちを励まし、力づけました。そしてその手紙が、新約聖書に収められるようになりう、二千年近くも、代々の信仰者たちを教え、励ましてくれているのです。パウロはそんなことを予想すらしなかったでしょうが、彼の手紙がなければ、あのアウグスティヌスも信仰者にはならなかったし、ルターによる宗教改革も起こらなかったでしょう。持てる力をその時々に精いっぱい発揮する奉仕を、神は豊かに用いてくださるのです。(2013年7月)