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教会の言葉

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11月のメッセージ
2013-12-13

神の愛と義の律法
               
             
西宮中央教会 牧師 藤田浩喜
 「ヨルダン川を渡り、あなたの神、主が与えられる土地に入る日は、大きな石を幾つか立て、しっくいを塗り・・・
 その上に律法の言葉をすべて書き記しなさい。」
    (申命記27章2〜3節)  

これは、モーセとイスラエルの長老たちが、民に命じたことです。主なる神の与え給う戒めを石の上に書き記すのは、それを変わることのない不変のものとすることでした。神の民イスラエルの約束の地での歩みは、神の戒めを心に刻みつけることなしには、始まりませんでした。乳と蜜の流れるカナンでの歩みは、それほどに誘惑に満ちていたのです。そして、この石の上に主なる神の戒めを刻みつけるということは、石の祭壇を築きなさいという命令によって、さらに具体化されました。祭壇は、イスラエルの民が主なる神に「焼き尽くす献げ物をささげ」、その前で礼拝を行う場所でした。その祭壇を自然石で造り、そこに律法の言葉をはっきり書き記すように命じられているのです。神の民は、この律法の言葉をいつも見ながら祭儀を行い、礼拝を守りました。祭壇での祭儀は、神の律法を守るという信仰者の倫理と切り離されることはなく、信仰生活の中で一つに結び合わされていたのです。ここで、イスラエルの民に言われていることは、現在のキリスト者である私たちにとっても大切なことではないでしょうか。乳と蜜の流れるカナンは、肥沃で豊かな土地でした。しかし豊かであるがゆえに、イスラエルには神なしでもやっていけるという不信仰やカナンの豊穣神に心を奪われる誘惑が待ち受けていました。そのような彼らにとって、神の戒めを石に刻みつけるように心に刻みつけ、礼拝生活でいつも目に入るところに律法の言葉を書き記し、それを礼拝ごとに確認することによって神の御心から離れず、神の愛と義の道を歩んで行くことが可能となるのでありました。私たちの生きる社会は、まさに現代のカナンであり、豊かであるがゆえに様々な誘惑に満ちています。科学や技術の発達は、人間に自らの力を誇らせ、神なしにやっていけるかのような錯覚を生み出しています。また、宗教の形も多様化し、人々のニーズに応じたおびただしい神々が、現代人の願望を満たすものとして登場してきています。それはあくまでも人間中心的な信仰であり、神の戒めに服するという倫理的な側面は、ほとんど顧みられることはありません。そのような中で私たちの社会は、生きるための座標軸を失い、行くべき方向を見い出せずにさまよい続けています。そうした現代のカナンに生きる信仰者であればこそ、私たちは神の与え給う戒めに生き、愛と義なるお方の律法を世に証ししていく使命が与えられているのではないでしょうか。そこに、本来の人間らしい歩みが生まれてくるのです。(2013年11月)







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