教会の言葉
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12月のメッセージ
2016-01-23
クリスマスを迎える喜び
牧師 藤田 浩喜
「父親は字を書く板を出させて『この子の名はヨハネ』と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。」(ルカによる福音書1章63~64節)
御子イエス・キリストの誕生に先立って、バプテスマのヨハネの誕生について聖書は語っています。祭司ザカリアとエリサベトは年をとった夫婦でしたが、神殿で香をたいていたザカリアに天使が現れます。そしてザカリア夫婦に男の子がうまれること、その子は「イスラエルの多くの子らを主に立ち帰らせ…準備のできた民を主のために用意する」ことを伝えます。ところが彼は、「何によって、わたしはそれを知ることができるでしょう」としるしを求め、あのマリアのように、すべてを神にお委ねすることができませんでした。そのため彼は、一時的に話すことができなくされてしまったのでした。ところが今日の箇所を見ると、男の子が生まれ、その子にヨハネという名前をつけたとき、「彼の口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた」というのです。しるしを求めたザカリアと口がきけるようになったザカリアとの間に何があったのでしょう。ザカリアの口がきけなくなったことは、不信への審きであるとよく言われます。そういう面もあるでしょう。しかしそれだけではなく、神は口のきけない状態の中で、ザカリアの心をご自身へと向けられたのではないでしょうか。制約のある不自由な日々ではありましたが、彼はその中で自分の罪を認め、神が大いなる救いの業を始めようとされていることを知り、その救いの御業に小さな自分が用いられていることを確信して、賛美の言葉が口から溢れ出ずにはおれなかったのです。彼ら夫妻から生まれた男の子は、救い主イエス・キリストを迎えるための道備えの役割を果たします。御子イエス・キリストの誕生は、心を神に向け、ふさわしく準備のできた民の中で起こります。だからこそ、私たちは今年も主の御降誕を待ち望むアドベントの時を過ごしているのです。その意味ではザカリア自身が、ヨハネの誕生を通して救い主をふさわしく待ち望む心備えをした、最初の人であったのです。ザカリアは話すことができないという制約や不自由さの中で、神の大いなる御業に心の目が開かれました。シメオンも女預言者アンナも年をとった老人でした。しかしそのような制約や不自由さにもかかわらず、むしろそうした制約や不自由さがあったからこそ、この人たちはまっすぐに主の大いなる救いを見ることができたのです。まさに「神の御名は褒むべきかな!」です。(
2015年12月