教会の言葉
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6月のメッセージ
2016-07-11
傍らにいましたもう神
牧師 藤田浩喜
「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」
(ヨハネ福音書14章15~16節)
ペンテコステの日にイエス・キリストが約束してくださった聖霊が、信じる者たちの上に降り、教会が誕生しました。その信じる群れに与えられた聖霊が、この箇所では「弁護者」(パラクレートス)と言われています。ギリシャ語では、「かたわらに呼び出された者」という意味を持っています。普通、今日の言葉で私たちが「弁護士」と言いますと、一つの資格を持った法律の専門家です。しかし、昔の裁判の弁護人は、必ずしも今のように資格を取ったプロがやるわけではなくて、友人でも誰でもとにかく力を貸してくれる人が弁護をしたのです。そのような昔の事情を考えますと、もう少し融通のきく言葉の方が良いのではないかというわけで、最近の新しい翻訳では、「ヘルパー」とか「フレンド」という英語訳が出てきています。これは非常に良い訳ではないかと思います。今の言葉で「ヘルパー」というと、目下や助手のような感じがしますが、私たちにとって大変身近な存在です。また、わたしのことを案じて、私が困ればいつでも「かたわらに呼び寄せられ」て、頼まれてくれる人、「友だち」でもあります。そしてそのような意味であれば、主イエスは15章15節で「もはや、わたしはあなたを僕と呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ」とはっきり言っておられます。この意味であれば、確かに主イエスは地上にあるときから、弟子たちの「友」であられました。その弟子たちの「友」が世を去って行くことにおいて、別の「友」が真理の御霊という形で連れ添ってくださるのです。この方は、「いつまでもあなたがたと共にいるよ。あなたの側から離れないよ」と、約束してくださっているのです。実際にペテロやヨハネたちは、主イエスと共に生活をし、必要であれば主イエスに駆け寄って、助けを乞うことができました。2千年も隔たると、そういうわけにはいきません。私たちが願ってもそれはできません。しかし、真理の御霊という「友」を呼び寄せることができます。パラクレートスとして、この真の「友」を持つことができるように変わったのです。その大きな恵みの中に、私たち一人ひとりが置かれていることを、ぜひ覚えたいと思います。
(2016年6月)