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教会の言葉

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2月のメッセージ
2017-03-20
力は弱さの中に  
 
 「すると主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と  言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」
(コリントの信徒への手紙二 12章9節)   牧師  藤田浩喜
 先日マーティン・スコセッシ監督の『沈黙』という映画を観てきました。ご承知のように日本の作家遠藤周作の小説を、ハリウッドの外国人監督が映画化したものです。ローマ法王フランシスコも、この映画を称賛したといいます。まだ上映中なので詳しいことは申し上げませんが、原作に忠実な内容だと感じました。心をゆさぶられる場面も多かったのですが、映画を観たあと率直に思ったのは、峻厳な迫害に遭って棄教してしまう(「転ぶ」)宣教師を、主イエスはどうご覧になるのかということでした。宣教師フェレイラもロドリゴも、自分の命を惜しむからではなく、無辜のキリシタンが目の前で苦しみ殺されていくことに耐えられず、踏み絵を踏んでしまいます。それも「弱さ」だと言ってしまえばそうですが、主イエスはそのような「弱さ」をどのように見ておられるのだろうという問いが、今も頭から離れないのです。冒頭の聖句は、使徒パウロの言葉です。偉大な伝道者であるパウロも、大きな「弱さ」を抱えていたようです。それは彼自身「肉体のとげ」と呼んでいるものであり、今日の「てんかん」にあたる病気だったのではないかと言われています。彼はこの「とげ」を取り除いてくださるよう何度も神に祈りましたが、叶えられませんでした。その代わりに示されたのが、『わたしの恵みはあなたに十分である。力の弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』という御言葉だったのです。パウロだけでなく、人間のだれもが自分の「弱さ」を抱えています。今は「弱さ」など無いという人も、いつしか「弱さ」を抱え込まざるを得ないのが人間です。抜き差しならない「弱さ」と共に生きていかねばならないのが、私たちの現実です。しかし、パウロはそのような現実の中で、「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という逆説的な恵みの体験をさせられて、彼は痩せ我慢ではなく、「キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう」と証しすることができたのです。「弱さ」はない方が良いのかもしれませんが、「弱さ」を避けることはできません。でもその「弱さ」を憎み避けるのではなく、そこに神の恵みの源泉を見ることができるとするなら、私たちの人生はもっと生きやすくなるのではないかと思うのです。
(2017年2月)
 

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