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教会の言葉

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5月のメッセージ
2017-06-16
「父母を敬う」とは 
 「『父と母を敬いなさい』。これは約束を伴う最初の掟です。『そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる』という約束です」。
 (エフェソの信徒への手紙6章2~3節)  牧師  藤田浩喜
 
 5月第二日曜日は母の日です。お母さんにまつわる様々な思い出を、皆さんはお持ちのことでしょう。この時期に親子のことを少し考えてみましょう。表題の聖句は、「父母を敬えば幸いを得る」という神さまの約束を教えています。この聖句は、今日を生きる私たちにどんなメッセージを語っているのでしょう。『百万人の福音』(いのちのことば社)という月刊誌の中で、先年私たちの教会にも来てくださった牧師でミュージシャンの陣内大蔵さんと、これまた牧師であるお父さんの厚生さんが、それぞれの思いを語っています。その中で大蔵さんは、自分の歩みを振り返りつつ「僕も、親を敬えるようになるにはプロセスが必要でした」と述べておられます。反発や反抗の青年期を経て、自分も牧師になり親になって初めて、親を敬えるようになったということなのでしょう。一方、お父さんの厚生さんは、「親が子を育てることの中には、目先の利益を超えた、はるかに大きな賜物を与えようとすることが含まれる」と述べておられます。その賜物とは、「生命の尊厳、超越者との出会いと信頼、愛することの喜び、将来への希望などである」と言われます。たとえ簡単にはわかってもらえなくても、目先のことを超えたもっと大切な賜物が神さまから与えられていることを、子どもたちに伝えていく。そのことが子どもの人生の歩みの中で心に「すとんと」落ちた時に、深い感謝をもって親を敬えるということなのかもしれません。ところで、父母を敬うことで、もたらされる「幸福」とは、今日どのようなものなのでしょう。私たちの時代、多くの人たちが年老いた親の介護に関わります。自分を育て、厳しくも優しく導いてくれた親のイメージは、加齢や認知症によって激変してしまうことも稀ではありません。すぐには受け入れられない現実です。葛藤もあるでしょう。しかしそれにもかかわらず、「敬う心を向けていく」。主イエスご自身の心構えにつながる「敬う心」を、相手の状態に拘わらずに向けていく。それは愛されるよりも愛することを選び取るあり方です。しかし、そのことによってわたしたちの自己中心や虚栄心は砕かれ、利他の心を持つことができます。私たちは能動的に生きることができるようになります。幸いな人生とは、「受けるよりも与えるほうが幸いである」という、能動的な選択の積み重ねなのです。2017年5月)

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