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教会の言葉

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9月のメッセージ
2016-10-14
礼拝説教より(8月28日)    
    『昨日も今日も、そして永遠に』      
   エレミヤ書2章4~13節
   ヘブライ人への手紙13章1~8節    神学生 三輪 恵愛
                     (みわ しげよし)
 
 人は、限りのある人生を歩んでいるからこそ、永遠という言葉に対して憧れを感じ、また、それは私たちの手の届かないところにあるのではないか、そのような、なにか遠くの存在のもののようにも感じます。「イエス・キリストが永遠のお方」ということと、わたしたちの限りのある人生が、いったいどこで関わりをもつのか、そのことが、身近なものとなってこないかぎり、永遠という言葉は、遠くに響いている憧れの音色にしか聞こえてきません。しかし、ヘブライ人への手紙の書き手は、確かに疑いなく現実のこととして語るのです。「イエス・キリストは、昨日も今日も、また永遠に変わることのない方です」。手紙の書き手は、ただ永遠への憧れを語っているのではなく、わたしたち人間の日々の営みの中で変わっていくものと、変わらないものがあり、それらのことについて語っていく中で、永遠にあられるイエス・キリストの存在と私たちの関わりを示そうとしています。ヘブライ人への手紙の書き手は、「律法を堅く守ることだけでは、人間は決して救われることはない」という歴史的事実を念頭に言葉を綴っています。また、エレミヤ書は、イスラエル王国が律法を守ることにこだわるあまり、律法の本当の意味を忘れてしまったことを示しています。エレミヤ書2章8節には「律法を教える人たちはわたしを理解せず、指導者たちはわたしに背き」とあります。律法の源にあるものは「人間を愛してくださる神さまをわたしたちも心を尽くして愛し、私たちが愛されているように、隣びとをも愛しなさい」ということでした。まず、主なる神さまの愛があってこそ、わたしたちは罪人でありながらも、愛の業が行える」ということが律法の根本であったのです。ところがエレミヤが語ったとき、ほかの祭司や律法の学者たちは「主はどこにおられるのか」と謙遜に尋ね求めることを忘れ、ただ律法を守ること、言うなれば倫理的に正しく生きることをのみに執着していました。そして主の御言葉を謙遜に尋ね求めることを忘れたイスラエル王国を待っていたものは、バビロン帝国による王国の滅亡でした。ヘブライ人への手紙の書き手はこういった歴史の歩みを踏まえたうえで、律法にのみこだわることによって、人は愛を見失い、むしろ人を裁き、縛ることを知りつつ手紙を書いております。エレミヤの言葉は国の指導者に受け入れられず、彼は国を惑わす者として憎まれ迫害されます。たしかにエレミヤ自身の生涯は、苦難が報われるようなものではなかったでありましょう。しかし彼が忠実に語り預言者に記した主の御言葉は、やがて来られる方、イエス・キリストを明らかに指し示しておりました。永遠に変わることのないお方であるイエス・キリストは、主なる神さまの御言葉の中ですでにおられ、エレミヤのみならず御言葉に仕える全ての信仰者は、生涯をかけてその御言葉を語り、また従い続けました。そのように考えたとき、7節にある、「その信仰を見倣いなさい」という言葉が1節から5節までの律法を、倫理的に正しく守る姿に見倣うという表面的なことを指しているのではないことがわかってまいります。見倣うべき姿とは、愛によって私たちを救う神の御言葉に顕われたもう、イエス・キリストを主と信じて生きる姿のことなのです。主なる神さまの御言葉の中に、主なる神の愛をまず見つめ、そこから愛の業を行った人たちの中に、昨日も、今日も、また永遠に変わることのないお方、イエス・キリストが働いておられるということです。主なる神の愛がまずあってこそはじめて、私たちは律法から裁かれ束縛されるのではなく、かえって、イエス・キリストの愛の姿が、罪人である私たちをも、愛の業を行う者としてくださるということの恵みを語っているのであります。信仰者として共に歩む私たちの愛の交わりの中には、あらゆるところにイエス・キリストがいてくださり、それぞれの働きを一つの御心に結びつけ、用いようとされておられます。ヘブライ人への手紙13章7節にある「信仰者の生涯の終わり」は信仰者が限りのある地上の歩みを終えるときを示します。それはまた、永遠にあられるイエス・キリストが御言葉として介在してくださることで、地上に残したイエス・キリストの愛による働きが次の世代へと、受け継がれていく時なのです。教会とは、まさにイエス・キリストがそれぞれの時代に生きる、おびただしい信仰者の交わりの中に、愛のまなざしを注ぎながら、居てくださるところであります。イエス様がわたしたちの人生のあらゆるときにおいて「決してあなたから離れない、決してあなたを置き去りにはしない、唯一の助け手」です。昨日の次の日である今日、今日の次の日である明日、一日いちにちの歩みが一日ずつ重なっていく永遠の中に、イエス・キリストに現れた主なる神さまの愛が働いているところ、それが教会なのです。(2016年9月)

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