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礼拝説教

10月25日の説教
2020-11-02
コリントの信徒への手紙 二 4章16~18節 2020年10月25日(日)
  「見えないものは永遠に存続する」    藤田 浩喜
 NHKの朝ドラで今『エール』という番組をやっています。なかなかの力作で日に2回見たりすることもあるのですが、いま戦後すぐの時代を描いています。この中で古関裕而さんをモデルとした主人公の古山裕一が、『長崎の鐘』という有名な曲を作曲します。この曲は、同じ題名の小説『長崎の鐘』を書いた永井隆さんとの出会いから生まれたものだと言われています。
 永井隆さんのお名前は、若い人にはほとんど知られていないかもしれません。1945年8月9日長崎に原子爆弾が落とされた時、長崎大学医学部で教授をされていた方で、ご自身も被曝されましたが、生き残った病院のスタッフと一緒に、原爆の被害者たちを懸命に治療された方です。カトリックの熱心な信仰者でもありました。放射線医学にたずさわる医師であったので、治療のため多くの放射線を受け白血病を患っていましたが、その上に原子爆弾による放射線の被曝も重なり、病床の日々を送られるようになります。しかし、原爆の体験を少しでも後世に伝えたいと、『長崎の鐘』を初め『この子を残して』、『平和塔』などの著作を世に送ります。体調の良い時には講演会に出かけ、如己堂という小さな住まいにたくさんの訪問者を迎えます。そして、1951年43歳で逝去されたのでした。
 この永井隆さんの小さな伝記を最近読んだのですが、幾つか感銘を受けたところがありましたので、今日の聖書の御言葉に触れつつご紹介したいと思います。
 永井隆博士は、島根県の松江に生まれ、長じて長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)に進みます。学生時代は目に見えるものしか信じない合理的精神の持ち主だったようです。大学の近くには有名な浦上天主堂があり、四千人以上のカトリック信者が日曜日ごとに礼拝を捧げていましたが、永井青年は「旧式の信仰にだまされている西洋人の奴隷だ」と、憐れむ眼差しを向けていたと言います。
 ところが永井青年が医学部在学中に、慕ってやまない母が脳溢血で倒れます。
隆青年がこの世に誕生する時、自分の命の危険も顧みずに、息子の命を守り抜いてくれたお母さんでした。そのお母さんが臨終の床で、駆けつけた隆青年の顔をじっと見つめた。本当に深い眼差しだった。お母さんは間もなく息を引き取ります。しかし、隆青年はそのお母さんの最後の眼差しを見て、その母の愛が灰とともになくなってしまったとは、どうしても思えなかったのです。今までの隆青年は、目に見えるものしか信じませんでした。でもこの時、目には見えなくても存在するものはあるのだ、という確信が生まれたのです。
 そのお母さんの死があって、永井青年はキリスト教信仰に関心を抱くようになります。浦上天主堂の礼拝に出席するようになり、下宿も熱心なカトリック信徒の家である森山家に移り住むようになります。そこの森山家のお嬢さんである緑さんと後に結婚することになるのです。
 ところで時代は中国との戦争から太平洋戦争へと向かっていきました。そういう時代でしたので、医師であった永井さんは2度にわたって、軍医として戦争に従軍することになります。1回目は1933~1934年の満州事変に、2回目はさらに長く1937~1940年衛生隊医長として中国戦線に従軍することになります。エールでも言っていましたが、戦地は悲惨極まりない現場です。生きるか死ぬかしかないような場所です。そのような場所に身を置いた永井さんは、数え切れないほど多くの負傷兵や戦死者を受け入れ看取ります。こんなに若い青年たちが、なぜ手足をもがれたり、命を落とさなければならないのか。この若者たちは何のために生きてきたのか。永井さんの悩みと問いは深まるばかりでした。そして、3度目の戦争体験が、1945年8月9日の長崎への原爆投下でした。この原爆によって当時の長崎市民の3分の1が亡くなり、3分の1が重傷を負ったと言われます。非戦闘員である一般市民を一瞬にして無差別に殺戮する原爆以上に、不条理で非人道的なことはありません。2度の従軍体験とこの悲惨な原爆を、医師として経験した永井さんは、平和への決意を固く誓います。原爆の悲惨さを後世に遺そうと、病床で何冊もの本を書き上げます。そして、病床にあって永井さんを支え続けたのが、キリスト信仰であり、神さまへ祈りであったのです。
 キリスト教信仰においては、命を地上の命・生物学的な命だけとは考えません。
命が地上の命に限られるなら、戦場で死んでいった多くの若者たちの死は、意味の無いものとなってしまいます。しかし、キリスト教は地上の命の他に、神がイエス・キリストによって与えてくださる命、新しい命、永遠の命について語ります。この命は救い主イエス・キリストを信じるだけで与えられる命です。そして、この命は神さまが永遠であるように、永遠に失われることはありません。地上の生涯が尽きても、神さまと堅く結ばれたこの命は失われることがありません。そして、たとえ永井隆さんのように重い病床にあったとしても、イエス・キリストの与えてくださった新しい命が、その人に生きる力と希望をもたらし続けてくれるのです。永井隆さんを病床にあって支え、周囲が驚くほど精力的に著作に向かわしめたのも、この新しい命があったからだと思います。平和を希求してやまない思いと祈りを通して注がれたこの命が、多くの仕事をやり遂げさせたのです。
 さて、先ほど永井さんが熱心なカトリック教徒であった森山家のお嬢さん緑さんと結婚したことをお話しました。森山家は長崎県の浦上で鎖国の時代も信仰を守り続けた潜伏キリシタンの末裔でした。浦上の信仰者の中には、明治時代のキリシタン禁制が解けてない時代に、その信仰を守り通したために島流しにあった人たちがいました。そこでまた厳しい取り調べや拷問を受けました。人々は島流しのこの苦しい時期を「旅」と呼んでいます。「旅」から帰ると浦上は一面、荒れ野原になっていました。人々は村をゼロから再建し、信仰の拠り所である浦上天主堂を26年の歳月をかけて造りました。森山家の信仰は、こうした苦しみと忍耐の中で守られ、伝えられてきました。そのような信仰の系譜につながるお嬢さんですから、緑さんの信仰も筋金入りでした。ある日、永井隆さんは白血病になり、余命3年を宣告されます。放射線科の医師であった永井さんは、戦争中のことゆえフィルム等の物資が不足し、レントゲンの結果を顔をくっ付けるようにして何年も診断していました。そのために多量の放射線を浴びて、白血病になってしまったのでした。家に帰ってその余命について知らされた緑さんは、毎日祈りをささげていた十字架の前に行き、ろうそくをつけて祈り始めます。そして長い祈りの後、隆さんの前にやってきた緑さんは、ひと言だけ言うのでした。「生きるも死ぬも、神さまのご栄光のためにね」と。しかしこの言葉は、隆さんより先に緑さんの方に、現実のものとなってしまいます。戦争末期空襲が激しくなる中でも、緑さんは隆さんを支えるために長崎の中心部に残りました。子どもたちを自分の母に託して疎開させた三ツ山の家には行きませんでした。そのため、あの8月9日の原爆投下の日、爆心地の近くにあった自宅で、巨大な熱線と爆風を浴びて、命を落としてしまうことになるのです。隆さんはほんのわずかな骨と灰になった緑さんを、自分の手で拾い上げなくてはならなかったのです。
戦争後、著書である『長崎の鐘』を題材にした映画が作られます。妻の緑さんの役は、絶世の美女であった女優さんが務められたのでした。そのことを知った永井さんは、「妻があんな絶世の美女だったら、いつも気になって、仕事どころではなかったでしょう」と言ったそうです。ここにも、聖人君子ではない永井博士の親しみやすい人柄が伺えます。しかし、隆さんと緑さんは、信仰による堅い絆で結ばれていました。戦争後、隆さんにはいくつもの再婚話があったそうですが、すべて断りました。子どもたちに母親として緑さんの思い出だけを残してやりたいという気持ちがあったからだと言われています。余命が限られている自分の世話で、他の人に面倒をかけたくないとも思ったのかも知れません。しかし、それ以上に、隆さんと緑さんの絆は強いものだったのではないでしょうか。たとえ地上の死が二人を分かつことがあっても、それぞれが神さまの与えてくださった永遠の命の内に守られている。やがてこの命に与った者同士、天の御国で再びまみえることができる。そうした希望を抱きつつ、永井さんは地上での命を最後まで燃やし続けたのではないかと思うのです。
さて、今日の聖書の18節には次のように言われていました。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するのです。」これはパウロという人が述べている言葉ですが、私たちの生き方を深く問い直す言葉です。実は「見えるもの」と「見えないもの」とがここでは対比されていますが、16節以下には「外なる人」と「内なる人」、そして「一時の軽い艱難」と「重みのある永遠の栄光」とが対比されています。その二つに続いて、「見えるもの」と「見えないもの」が同じことを言い換えるように語られているのです。私たち人間は、実感されている人も多いと思いますが、「外なる人」は年老いて衰えていきます。いくらアンチエイジングしたところで、根本的にそれを押し留めることはできません。また、私たちは旧約の詩人が歌うように「一時しか」生きられない存在です。「朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい/夕べにはしおれ、枯れて行きます」(詩編90篇6節)。そのような儚い存在だからでしょうか。この世にあって「見えるもの」に価値を置き、地上の「見えるもの」によって、自分の人生を確かなものにしようとしているのです。それが多くの人間のリアルな現実でしょう。
 そうした人間の現実は、今回のコロナ禍においていっそうはっきりと赤裸々な姿を現わしたと思います。確かに「命」以上に大切なものはありません。でも、それは自分と身近な人の「命」です。命の危険を冒して、自分を犠牲にすることも厭わないで働いてくれた医療関係者の命は、正当に守られたといえるでしょうか。また経済的に弱く、命の危険があっても仕事を続けなくてはならないエッセンシャルワーカーの人たちの命は、大切にされたでしょうか。そして、死を目前にした人や重い病に苦しんでいた人たちは、最も心細い時に自分の愛する家族から遠ざけられてしまいました。あるフランスの哲学者は、コロナ禍の中にあって、この社会は生者の命だけを大切にする薄っぺらい社会になってしまったと、言っています。確かに命は大切です。命を守るために、ステイホームをしたり、病院や施設で面会を制限したりする必要もあるでしょう。しかし、私たちはこのコロナ禍をという経験を通して、命というものを今一度問い直されているのです。

 聖書は「外なる人」の「一時」の「見えるもの」である命に対して、「内なる人」の「永遠」の「見えないもの」である命について語っています。その命は、たとえ病を得ていても日々新たにされる命です。その命は、絶えることのない栄光もたらしてくれる命です。そしてその命は、永遠に存続する命なのです。それは永井隆さんと奥様の緑さんが、その命によって実際に生かされた命であったのです。聖書は、救い主イエス・キリストを知ることによって、その新しい命を受けるように、私たちを招いてくださっているのです。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」(ヨハネ11章25~26節)。この絶えることのない永遠の命へ招きを、皆さまが受け入れてくださいますよう心から願っています。(2020年10月25日)

 
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