教会の言葉
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マリアは後ろを振り向いた
西宮中央教会牧師 藤田浩喜
「イエスが『マリア』と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、『ラボニ』と言った。『先生』という意味である。」(ヨハネによる福音書20章16節)
探しているものが見つからないということは、生活の中でよくあります。「ここに置いていたはずだ」とか「最後にあそこで見た」と思い込んでその辺りを探すのですが、なかなか見つかりません。少し時間が経ってあきらめかけた頃に、思わぬところから出てくるということも案外多いのではないでしょうか。今日のヨハネ福音書20章においても、二人の弟子たちやマグダラのマリアは、探しているものが見つからず、オロオロしています。十字架で死なれた主イエスにお会いするために、マリアはお墓に急ぎます。ところがお墓に納められていたはずの主イエスが、そこにはおられないのです。墓が空っぽなのです。マリアはペトロともう一人の弟子のところに走って行き、そのことを伝えます。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちにはわかりません」と悲痛な声で言うのです。二人の弟子は、大急ぎで墓に確かめに行きます。しかし二人はマリアの言ったことを確認するだけで、何が起こったかさっぱり理解することができませんでした。二人は亡くなった主イエスはお墓にいるものだと思い込んでいたからです。一方、マリアの嘆きと悲しみは深まるばかりでした。心から慕っていた主イエスが死んだだけでなく、そのなきがらにすがりついて泣くこともできない彼女の目からは、止めどなく涙があふれてくるのでした。しかしそんなマリアに、「なぜ、泣いているのか」と語りかける声が聞こえます。最初は墓の中の天使が語りかけ、その次には復活された主イエスが語りかけられます。すると彼女は、その語りかけに「後ろを振り向いた」とあります。そして「後ろを振り向いた」彼女に語られた「マリア」という懐かしい呼びかけによって、目の前におられるのが主イエスだということに彼女は気づくのです。彼女は語りかけられ、墓の方から「後ろを振り向いた」とき、復活の主イエスとお会いすることができたのです。死んで墓に納められた方としては見つけられなかった主イエスが、心を反対方向に向けたとき、復活して生きておられるお方としてマリアに出会ってくださったのです。マリアはこうして「先生」「主よ」と呼びかけることのできるお方と共に、これから人生を歩むことができるのです。初めに申したように、思い込んでいる間は大切なものは見つかりません。私たちの心の向きを変え、主の語りかけに耳を傾けるとき、復活の主は出会ってくださいます。(2012年4月)